「詳説 ごーしゅー史」講義

 第1回 紀元前のごーしゅー(講師:藤村ごーしゅー先生)

     

@学校でのごーしゅー

    

 ごーしゅーが日本語以外の言語に最初に触れたのは、中学生の英語の授業。開始当初は特段得意でも苦手でもなかった英語であったが、ある出来事をきっかけにごーしゅーは英語コンプレックスに陥ることとなる。その原因が実用英語検定(通称・英検)。ごーしゅーの通う中学校では、学年全体で強制的に英検を受けさせられることになっており、ごーしゅーは中学2年生の時、難なく英検4級を取得。しかしその翌年、中学3年生の時に受験した英検3級の試験で、ごーしゅーは、周りの生徒が軒並み合格をする中、不合格という判定をされてしまう。

   

「いいじゃん。別に海外興味無いし。

 日本に来てる外人が、ちゃんと日本語しゃべればいいんだよ。」

   

 そんな負け惜しみを口にしていたごーしゅーであったが、この頃から、徐々に英語への苦手意識を持ち始め、高校に入ってからも、英語の成績はいつも赤点スレスレ。そして英語を使う外国への興味も全く沸くことは無かった。ところが、そんなごーしゅーにとある環境の変化が起こる。

    

 大学へ進学したごーしゅー。そこでごーしゅーは、第2外国語として中国語を選ぶ。するとごーしゅーは、最初の前期末試験で、いきなりクラス1位の成績を収めたのだった。俄然、クラスのみんなから注目を浴びるごーしゅー。それからというもの、授業やテストの前になると、必ずクラスの仲間がごーしゅーのもとに寄ってくるようになった。そしてその寄ってくる仲間の中には、当然女の子も混じっている。中学・高校時代、男子校でつまらない青春時代を送っていたごーしゅーにとって、この状況はまさに夢のような状態だった。

   

「もっと中国語、勉強しよ。」

   

 これをきっかけに、ごーしゅーは中国語に熱中することとなり、それに伴って中国、そして世界に関心を持ち始めるようになっていた。

  

     

A韓国1人旅

     

 大学3年生になろうかという春休み。ごーしゅーは自身初の海外旅行に出かける計画を立てる。中国語をきっかけに世界に興味を持ったことに加え、その前年、ごーしゅーが昔大好きだった『アメリカ横断ウルトラクイズ』が1回限りで復活したことがあり、ごーしゅーはそのウルトラクイズに参加するために、参加条件の1つとなるパスポートを取得した。そのため、もともと旅行好きだったごーしゅーの選択肢の中に、海外という選択肢が加わり、それも海外への第一歩を踏み出させる要因となった。しかし、ただ『海外に行ってみたい』という気持ちだけで、特に行きたい国が定まっていなかったごーしゅーは、その行き先を「世界空港コード表」という表の中から、サイコロで選ぶことにした。そして全世界200近い候補の中から選ばれたのが、ソウル(韓国)。ごーしゅーは行き先が決まると、早速JTBへと出向き、ソウルへの往復航空チケットだけを購入。そしてその数週間後、ごーしゅーは1人で、3泊4日の韓国旅行へと出かけたのであった。
 成田から夕方の便で韓国・金浦空港に到着。初めて海外の地に降り立ったごーしゅー。しかしごーしゅーはその金浦空港で早速、言葉の洗礼を浴びることとなる。
 空港からソウル市内までは電車で行けばいいということは、下調べの段階で知っていたごーしゅー。そこでごーしゅーは駅の窓口に行き、ソウル市内までの切符を買うことにした。

    

ごーしゅー 「ソウル。」
切符販売員「????」
ごーしゅー 「ソーウール。」
切符販売員「????」

     

 「ソウル」という言葉が通用しない!!あせるごーしゅー!!そこでごーしゅーは駅の案内板を指差して再度伝える。

     

ごーしゅー 「ソーウール!!S、E、O、U、L・・・」
切符販売員「アァ〜、ソゥル。」

     

 こうして、たかだかソウル市内への切符を買うだけのことに、異常な労力を費やしたごーしゅー。そしてこれがトラウマになり、ごーしゅーはこのあと、まったく人に話しかけられなくなってしまう。
 ソウル市内に到着。しかし人に話しかけるのが怖いごーしゅーは、お店に入ることもできず食事も取ることができない。そうして人と接することなくただただ歩いてソウル市内を回っていると、時刻は夜の9時。この日のホテルも決まっていないごーしゅーは、仕方なく、事前に下調べしておいた日本語が通じるというホテルに向かうことにした。
 ホテルに到着。思ったよりも豪華なホテルに、お金が足りるかどうか冷や冷やしながらカウンターのホテルマンに話しかける。

    

ごーしゅー「あのぉ・・・、このホテルに泊まりたいんですけど・・・」
ホテルマン「????」
ごーしゅー「!!!」

    

 日本語が通じない!!あせるごーしゅー!!そこで今度は苦手な英語で再挑戦。

    

ごーしゅー「ア、ア、ア・・・アイ ウォント ステイ ディス ホテル・・・」
ホテルマン「Ah〜、OK。」

    

 なんとかつたない英語が通じ、このホテルに泊まれることとなったごーしゅー。しかし心配事はもう1つ。それは、ホテルの値段。

    

ごーしゅー「ハウマッチ??」

     

 聞くと、かろうじて所持金の範囲内で収まりそうな額。ごーしゅーはホッとして2泊分の宿泊料を支払う。しかしそのあと、ホテルマンがごーしゅーに思わぬことを要求してくる。

   

ホテルマン「デポジット。」

    

 なんとホテルマンはごーしゅーに宿泊保証金となるデポジットを要求。チェックアウト時に返還されるとはいえ、ここでデポジットを取られると、滞在中の所持金がほとんどなくなってしまう。しかし、それを断る言葉を持っていないごーしゅーは、甘んじてそのデポジットをお支払。なんとか寝床は確保できたものの、ここでごーしゅーはほぼ一文無しになってしまった。結局、この日の食事は、ホテルの部屋の冷蔵庫にあった、コカ・コーラのみ。腹をすかせて、就寝することになる。
 翌朝、街へと出かけるごーしゅー。所持金はわずか3万ウォン(3千円)。そんな中、お腹が空いているごーしゅーは、空港にあった観光パンフレットを頼りに、飲食店が多い“明洞(ミョンドン)”という街に向かうことにする。移動手段はわずか500ウォンで乗れる地下鉄と、徒歩。そして明洞に到着したごーしゅーであったが、やはり店に入るのは怖い。結局、歩き回るだけ歩き回り、気が付けば、日は傾き、夕焼けが辺りを覆うくらいの時間になっていた。丸1日、何も食べていないごーしゅー。ゲッソリとした顔で力なく歩いていると、そんなごーしゅーに1人の韓国人が声をかけてきた。

    

韓国人「オショクジドウデスカ??」

    

 日本語だ!!思わず立ち止まるごーしゅー。

韓国人  「オショクジドウデスカ??」
ごーしゅー 「は、はい・・・。」
韓国人  「ドウジョ、ドウジョ。コチラヘ。」

    

 言われるがままに店に入るごーしゅー。するとそこは、一般的な鍋料理のお店のようだ。早速、店員はメニューを見せてくれる。一番上にはプルコギの文字。料金も「9000W(ウォン)」と明記してある。決して手を出せない額ではない。

   

ごーしゅー「これ、ください。」

    

 ごーしゅーはプルコギを指差す。すると店員は険しい顔をしてこう言った。

    

店員「ウ〜ン・・・、

    プルコギは2人前からナンデシュヨ〜。1人前からOKなのは、コレ。」

     

 指されたのは、タコプルコギ。決して食べたいとは思わなかったが、空腹に耐えられなかったごーしゅーは、仕方なくタコプルコギを注文することにする。2日目にしてようやく食事にありつくことができたごーしゅー。結局、この日はこの1食のみで、再びホテルに戻って就寝した。
 3日目。この日も、地下鉄と徒歩で観光地めぐり。この日ごーしゅーが向かったのは、景福宮(キョンボックウ)という昔の宮殿。そこで敷地内の建物を見て回ったごーしゅーは、そのあと周辺を散策しようと、景福宮の外に出る。しかし、しばらく歩いていると、どういうわけか辺りに警備員が増えてきて、その警備員達が、ごーしゅーの元へと歩み寄ってくる。

    

警備員「パスポート!!パスポート!!」

     

 警備員はどうやら、パスポートを見せろと言っているようなので、ごーしゅーは携帯していたパスポートを見せると、警備員達は何やらわからない言葉でごーしゅーに説明している。何を言っているのかはわからないが、どうやら入ってはいけないところに入ってきてしまったらしいことはわかった。呆然とするごーしゅー。するとその時、向こうの方から1人の警備員がやってきて、ごーしゅーに日本語で話しかけてきた。

     

警備員「ココハ、大統領ガ、外国ノ偉イ方ヲ迎エル為ノ、建物デス。」

    

 話しによるとごーしゅーが入り込んでしまった場所は、迎賓館の敷地だったようだ。あわてるごーしゅー。しかし、そんなごーしゅーに警備員はまた日本語で話しかけてくれる。

    

警備員「セッカクデスカラ、スコシ、ミテイキマスカ??」

     

 なんとその警備員は、ごーしゅーに迎賓館を見せてくれるという。ごーしゅーはその警備員に言われるがまま付いていき、結局、資料館のような場所だけではあったが、親切に案内をしてくれた。

    

ごーしゅー「どうも、ありがとうございました。」
警備員  「サヨウナラ!!オゲンキデ!!」

    

 母語が通じる安心感。その安心感で、多少気持ちがほぐれたごーしゅーは、その後、多少勇気を出して話しかけることができるようになり、ほとんど英語ではあったが、食事も取れ、ホテルのチェックアウトも無事にこなすことができた。そしてそんな韓国からの帰りの飛行機の中、ごーしゅーの頭の中を支配していたのは、英語。無理矢理英語を搾り出していたため、頭の中が完全に英語モードになっていたのだ。そこでごーしゅーはこう思った。

    

『外国に行けば、頭の中が勝手に英語になるから、
 英語を勉強するのなら、外国で生活するのが一番だ!!』

     

 この思いがきっかけとなり、ごーしゅーはこの年、夏休みを利用した1ヶ月間のオーストラリア英語語学研修プランに申し込みをする。そしてそれは同時に、ごーしゅーがヒッポに出会うきっかけともなったのだった。

    

    

Bヒッポとの出会い

     

 ある日の大学の昼休み。ごーしゅーがクラスメイトといつものように学食で食事をしていると、壁にやたらと目立つ黄色いポスターが貼られている。そこにはこんなことが書かれている。

    

『7ヶ国語で話そう』

     

 オーストラリア語学研修プランに申し込みをしていたごーしゅー。しかし、ただ1ヶ月オーストラリアに行ってもきっと何も変わらない。

   

『何か新しい勉強法はないだろうか。』

 ちょうどそんなことを考えていたこの時期に、ごーしゅーの目に、この『7ヶ国語で話そう』という文字が飛び込んできた。

    

『英語を学ぶためのヒントがここにあるかもしれない!!』

   

 そう思ったごーしゅーは、吸い寄せられるようにポスターに近づき、そこに差し込まれていたチラシを抜き取った。チラシを見てみると、英語だけではなく、中国語もやっているようだ。

    

英語が勉強できて、大好きな中国語もできるんなら一石二鳥!!』

   

 こうしてごーしゅーは、チラシに案内されていた所沢でのヒッポセミナーに、参加してみることにする。
 1999年7月3日。セミナー当日。会場は所沢駅付近にある「ホテル角三上」の一室。開始時間に少し遅れてしまい、あわてて受付をすまし会場に入ると、そこではすでにヒッポの説明が始まっており、ちょうど司会の女性が流暢にヒッポの説明しており、それに引き続き、メンバーたちが日頃のファミリーの様子を伝えるパフォーマンスタイムが始まる。そこでは子供達から大人たちまでもが、何やらわけのわからない言葉で、楽しそうに話をしている。そしてそのパフォーマンスを見て、ごーしゅーはこう思った・・・。

    

『あやしい・・・』

     

 前で話している人と一緒に、会場に座っていた人達も、なにかをブツブツとつぶやいている。そしてその最前列では、ちょっと派手めのおばさんが、その話をきいて、やたらと大きなリアクションで笑ったり拍手をしたりと、いかにも“さくら”くさい。その雰囲気に怖さを感じたごーしゅーは、いつでも逃げ出せる用意をして、ただただ逃げ出すタイミングだけを伺いつつ、パフォーマンスを眺めていた。
 パフォーマンスも終わり、講演の時間。残念ながら逃げ出せなかったごーしゅーは、仕方なく講演を聴くことにする。講師は本部コーディネータの平岡大ちゃん。ごーしゅーは依然半信半疑で講演を聴いていたが、この大ちゃん講演は、“あやしい”と疑っていたヒッポという団体に対するイメージを、180度転換させてくれるものであった。

 約60分の大ちゃんの講演の中で、まずごーしゅーの心に響いたのは、“らしさ”の話。単語や文法に捉われるのではなく、まずはその言葉のらしさやリズムを見つけ、大まかに全体を捉えてから徐々に細かい部分へと切れ込んでいく。まさに赤ちゃんが母語を獲得していく方法と同じように、多言語も自然に習得していこうという話。その話を聞いたとき、ごーしゅーの頭の中に、ある出来事が思い浮かぶ。それは大学の中国語の授業でのこと。

 ごーしゅーが通っていた大学の中国語の授業では、事前に各学生たちに教科書の文章の一部が割り当てられ、その部分を訳し、さらに授業ではその部分を音読するという方法で授業が進行されていた。そして多くの生徒たちは、その音読、いわゆる発音で苦労していたようなのだが、それに対して、ごーしゅーは、いつも先生に発音を褒められていた。実はこの教科書には付属のCDがついており、ごーしゅーは単純にそのCDのまま言っていただけなのだが、みんなはそのごーしゅーを発音がうまいと褒め称える。そんなある日の中国語の授業前、1人のクラスメイトがごーしゅーにこんな質問を投げかけた。

        

クラスメイト「どうしてそんなに発音がうまいの??」

         

それに対して、ごーしゅーはこう答える。

         

ごーしゅー 「えっ??昔、エレクトーンやってたからかな??」

クラスメイト「???」

        

 クラスメイトはそんな反応でごーしゅーの元を去っていく。ごーしゅーの方もなんとなくうまく説明できず、もやもやとしていたが、この講演会で“らしさ”の話を聞いたとき、そのもやもやが一気に解きほぐされた。

    

『僕が発音が上手なのは、言葉のらしさ(リズム)を捉えているからなんだ』

     

 幼少の頃、エレクトーンを習っていたごーしゅーは、そこで自然と「音感」すなわち“リズムを捉えること”に慣れていた。だから「発音」がうまかったのだ。そんな自分の感覚と重なる講演会の話に、ごーしゅーは次第に引き込まれる。そしてもう一つ、ごーしゅーの心に響いた話の中に、こんな言葉があった。

    

『多言語で世界が広がる』

    

 それは単にたくさんの言葉が習得できるということだけではなく、多言語という器を自分に設けることで、世の中のあるゆるものに対する「見る目」と「聞く耳」が広がり、今まで気にも留めていなかった韓国語の看板が見えたり、街中で話されている中国語が聞こえてきたりといった、日常生活のレベルから、自分の世界が劇的に広がって楽しくなる。そんな話を大ちゃんは講演の中でしていた。

   

『多言語で世界が広がる』

    

 そんな夢のある話にいつしか完全に引き込まれていたごーしゅー。60分の講演はあっという間に終了。この講演の間、大ちゃんはしきりに「言語観の転換」という言葉を口にしていたのだが、この講演はまさにそれまでの僕の「言語観」を180度変えてくれた講演であった。
 この講演でヒッポに興味を持ち、翌週の体験会を経て入会。そしてその時、夏休みに行くオーストラリアに語学研修に行くという話をすると、メンバーの1人がこう言った。

    

「オーストラリアは豪州っていうから、ヒッポネームは“豪州”でいいじゃん。」

    

 ごーしゅーはそんな名前はイヤだと反対していたが、その2ヶ月後、オーストラリアから帰国し、正式に入会すること最初のファミリーで、メンバーたちがこう話しかけてくる。

    

メンバー「豪州!!お帰り!!」
メンバー「豪州!!オーストラリアの話、今度聞かせてね!!」
メンバー「豪州!!うちのファミリーにも、遊びに来てね!!」

    

 いつの間にやら“豪州”という名前が定着してしまい、変えるに変えられなくなってしまったごーしゅーは、結局、名前のいかつさを消すために表記を平仮名にすることで、その名前を甘んじて受け入れることとなった。
 1999年9月、ここに、ヒッポメンバー・ごーしゅーが誕生したのであった。

     

♪キ〜ン、コ〜ン、カ〜ン、コ〜ン・・・

      

本日の「ごーしゅー史」の授業はこれにて終了。
それでは、今日の授業を、“ミニテスト形式”でおさらいしましょう。

      

「ごーしゅー史」 第1回ミニテスト(50点満点)

   

問1(5点)

      

ごーしゅーが英語に対して苦手意識をもった原因として正しいものを、次の4つの中から選びなさい。

     

ア.英語の先生が怖かったから
イ.実用英語検定試験で不合格になったから
ウ.豪州というヒッポネームをつけられたから
エ.やたらと発音を直すヒッポメンバーがいたから

     

   

問2(10点)

      

ごーしゅーが中国語に興味を持った理由を20字以内で答えよ。(句読点含む)

   

    

問3(5点)

      

ごーしゅーが初めての海外旅行として韓国を選んだ理由を、次の4つの中から選びなさい。

    

ア.英語圏に行きたくなかったから
イ.韓国と中国は同じだと思っていたから
ウ.「冬のソナタ」にハマっていたから
エ.サイコロで決まったから

   

     

問4(15点)

     

次の5つの文章のうち、ごーしゅーが韓国1人旅で体験した出来事として誤っているものを全て選びなさい。また誤っているものは、文章のどの部分が誤っているかを指摘し、訂正しなさい。

    

ア.駅員に「キムチ」という発音が通じなかった
イ.ホテルでデポジット(保証金)をとられた
ウ.プルコギを2人分食べた
エ.迎賓館の敷地に入り込んでしまった
オ.頭の中が韓国語モードになった

   

      

問5(10点)

      

ごーしゅーがヒッポセミナーでの平岡大ちゃんの講演を聴いて気付いた、「自分が中国語の発音が上手い理由」を、15字で答えよ。(句読点含む)

   

      

問6(5点)

     

ごーしゅーが「ごーしゅー」というヒッポネームになった理由を、次の4つの中から選びなさい。

    

ア.オーストラリアに行くことが決まっていたから
イ.宮沢賢治が好きだったから
ウ.口臭がくさいから
エ.サイコロで決まったから

    

それでは、答え合わせです。

    

「ごーしゅー史」 第1回ミニテスト 解答と解説

   

問1(5点)

   

解答:イ(実用英語検定試験で不合格になったから)

      

ごーしゅーは中学3年生の時に英検3級不合格となり、英語に苦手意識を感じるようになりました。

     

   

問2(10点)

   

解答例:成績が良いと女の子が寄ってくるから。

      

「初めて試験の成績がよかったから。」や「成績が良いとクラスメイトが寄ってきてくれる。」では△。あくまで、『女の子が寄ってくる』という点がごーしゅーを中国語に奮い立たせた最大の要因です。

   

    

問3(5点)

   

解答:エ(サイコロで決まったから)

      

ごーしゅーが1人旅で韓国に行った時は、韓国のことをあまり知らず、韓国語を話すという認識も全くありませんでした。

   

     

問4(記号・訂正箇所が共に正解で各5点×3)

   

解答:ア、ウ、オ

訂正箇所

 (ア) × キムチ        → ○ ソウル

 (ウ) × プルコギを2人分 → ○ タコプルコギ(を1人分)

 (オ) × 韓国語モード    → ○ 英語モード

   

      

問5(10点)

   

解答例:言葉のらしさを捉えていたから。

      

「エレクトーンをやっていたから。」は講演を聴く前に思っていたことなので×

   

      

問6(5点)

   

解答:ア(オーストラリアに行くことが決まっていたから)

      

“ごーしゅー”という名前は、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」からではなく、オーストラリアを意味する「豪州」から。ちなみに“ごーしゅー”は全く「セロ弾きのゴーシュ」という作品の存在は知らず、あまりにも多くの人に間違われるので、それで「セロ弾きのゴーシュ」を覚えた。口臭は、自分自身ではくさいかどうかわかりません。

   

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