「詳説 ごーしゅー史」講義

 第2回 オーストラリア語学研修(講師:藤村ごーしゅー先生)

     

@オーストラリア上陸

 ごーしゅーが1999年7月に開かれた埼玉・所沢のセミナーでヒッポへの入会を決断してから、1999年9月にヒッポに正式入会するまでの間、ごーしゅーは、大学の夏休みを利用し、旅行会社の語学研修プログラムで、1ヶ月間、オーストラリアへ英語の語学研修に出掛けている。ごーしゅーが申し込んだプログラムは、1ヶ月の間、現地の人のお宅にホームステイをしながら英語学校に通うというプログラム。ごーしゅーが向かった先はオーストラリアの北東部、グレートバリアリーフの玄関口・ケアンズ。そのケアンズの空港ではすでにホームステイ先のホスト夫婦が迎えてくれてるということもあり、成田からケアンズまでの約7時間、ごーしゅーは飛行機の中でずっと、空港でのホストとの会話をシュミレーションしていた。

『最初、なんて言うんだっけ・・・』

 そんなシュミレーションの上に導き出された結論。それは、

『相手が“Nice to meet you”と言ってくれるだろうから、
僕は“Nice to meet you,too”と返せばいいや。』

 学校で習った「はじめまして」は“Nice to meet you”。 だから空港に着けばホストはきっと“Nice to meet you”と言うだろうとごーしゅーは考えた。

『「Nice to meet you』、「Nice to meet you,too」・・・』

 このシュミレーションを、飛行機の中で幾度となく繰り返し、飛行機に乗ること約7時間。ごーしゅーはケアンズの空港に到着。グレートバリアリーフを思わせるあざやかなブルーの絨毯が敷き詰められたケアンズ空港。その絨毯の上を進み、ごーしゅーはケアンズの地へと足を踏み入れた。
 空港に到着したのは早朝4時。オーストラリアは南半球のため、日本の夏休みにあたるこの時期は冬。ケアンズは常夏の地域ではあるが、冬の早朝ともなると、さすがに肌寒い。そんな寒さの中、ごーしゅーは今か今かとホストが来るのを待つ。しかし10分経ち、20分経っても、なかなかホストが現れる気配はない。ふと気が付くと、いつしかこの小さなケアンズの空港にいるのは、ごーしゅーと空港職員だけになっていた。

『どうしよ・・・、ここで置いてけぼりか・・・??』

 そう不安になりながらも、ごーしゅーはずっと、「Nice to meet you,too」のシュミレーションを繰り返す。そして待つこと2時間。ようやく空港のロビーに、ホストらしき夫婦が入ってきた。2人はごーしゅーを見つけると、こちらに向かって歩み寄ってくる。

『“Nice to meet you”が来るぞ!!』

 身構えるごーしゅー。そんなごーしゅーに、ホストのママは笑顔でこう声をかけてきた。

ホストママ「Hi!!」
ごーしゅー「!!! 」

 シュミレーションと違う。あわてるごーしゅー。ママの発した言葉はたかだか「Hi!!」の一言であったにも関わらず、ごーしゅーはそれに対応できない。
   
ごーしゅー「ナ、ナ、ナ・・・ナイス トゥ ミー・・・」

 ごーしゅーがあいさつしようとするも、それを言う前に、ママはペラペラとマシンガンのように英語を浴びせてくる。

『わ・・・、わからない・・・。』

 何も答えられないごーしゅー。しかしそんな中、ようやくわかる質問が聞こえてくる。

ホストママ「寒かった?(英語)」

 その質問に対して、ごーしゅーはこう答えた。

ごーしゅー「ケ・・・、ケ・・・、ケアンズ イズ クーラー ザン ジャパン。」

 比較級などを交えながら教科書どおりの受け答え。そんなぎこちない受け答えを数回したあと、ごーしゅーは車に乗せられ、さっそくステイ先の家へと向かうこととなった。一行はまだ夜明け前の薄暗いケアンズの街中を車で移動。そしてデニーズやケンタッキーといった日本でも見かけるような店を横目に見ながら30分ほど走ると、高台にあるホストの家へと到着した。ごーしゅーは家の中に招き入れられ、家の中の説明をうける。そして一通り説明が終わると、ホストママはこう言った。

ホストママ「疲れてるだろうから、少し寝たら?(英語)」

 確かに、飛行機で緊張して眠れなかったので、ごーしゅーの眠気はピークに達していた。

ホストママ「昼から、もう1人ここにステイしている○○と出かけるわよ(英語)」

 ママが言うには、この家にはもう1人日本人がステイしているらしい。しかしごーしゅーはその話を聞いた時に、そのステイしている人を指す代名詞を聞き逃さなかった。

『She』

 もう1人の日本人は女の子のようだ。

『どんな女の子なんだろう??』

 期待を抱きつつ、ごーしゅーは部屋に入って眠りにつく。そして数時間後に目を覚まし、リビングに入ると、そこからベランダの椅子に腰掛ける1人の人影があった。それはどうみてもホストパパではない。

『あの子が、日本人の女の子かな?』

 その人影を気にしつつ、リビングでくつろいでいると、ホストママが寄ってきてこう言った。

「KEN(僕)、彼女が、ここに一緒にステイしている“キョウコ”よ。」

 そうすると、ベランダにいた“キョウコ”がこちらにやってきた。

「どうも、はじめまして〜!!あなたがKENさんね。」

 “キョウコ”は、1年間の学生ビザでオーストラリアにやってきた、60過ぎのおばあさんだった。

「ど・・・、どうも・・・・。よろしく・・・・。」

 オーストラリアでの1ヶ月間は、こうして幕を開けた。  


A「話せない」から「話せる」へ

 ケアンズ2日目、翌日からの学校開始を控えたごーしゅーは、“キョウコさん”と一緒に、学校のある中心街にバスで行ってみることとなった。ケアンズはとても小さな街で、中心街と言っても見どころは3ヶ所くらい。そのため、2人は中心街を一通り見渡すと、再びバスに乗り、郊外の植物園へと遊びに行った。しかしその帰り道、ケアンズは複雑にバス路線が入り組んでいるため、2人はどのバスに乗ればいいのかわからなくなってしまう。そこで2人は仕方なくは道行く人に自分たちが乗るべきバスを尋ねることとなった。尋ねるのは“キョウコさん”。キョウコさんは当たり前のことながら、英語で道行く人に声をかける。たどたどしい英語だったのだが、それでも言いたいことは通じ、ちゃんとどのバスに乗ればいいかを教わっていた。その時のごーしゅーには、キョウコさんがベラベラに英語が話せるように見えていた。

『すごいなぁ・・・。僕はぜんぜん話せないのに・・・』

 ホームステイ開始当初、ごーしゅーは、自分は全く英語が話せないと思っていた。ヒッポの講演で自然習得の話を聴いていたにも関わらず、学校での英語の勉強が抜けきらないごーしゅーは、聞いた英語を、いちいち日本語に置き換え、それでようやく理解するという作業を頭の中で繰り返していた。さらに自分から話しかけるときも、言いたいことがあると、一度部屋に戻って、単語を辞書で引いて、文を組み立てて、それからようやくホストに伝えるということを繰り返す。そうすると、一応言いたいことは伝わるのだが、言われたことに反応できない。つまり会話がキャッチボールにならず、ただこちらの言いたいことを一方的に相手に投げつけるだけになっていた。

『これでいいんだろうか・・・』

 そんなことを考えていたある日、ふとごーしゅーの頭の中に、7月の所沢のヒッポセミナーで聞いた“ノリダー(東村山フェロウ・マリリンの御主人)”の話が思い浮かんだ。その時、ノリダーがしていたのは、こんな話。

ノリダー「ヒッポには15ヶ国語(当時)もあるから、
      その言葉すべてをいちいち日本語に置き換えていたら、
      10個単語を覚えるにも150覚えなくてはならない。
      100個覚えようと思ったら1500。
      そんなことをしていたらいつまでたっても、
      15ヶ国語などできるはずがない。
      だからヒッポでは言葉を日本語に置き換えるのではなく、
      その言葉そのものを習得していくしかないんです。」

 それを思い出したごーしゅーは、今まで自分がいかに不自然なことをやっていかということに気が付く。
 ホストたちと会話をするとき、「delicious」や「I’m hungry」といった言葉は、自然と口にできていたのだが、いざちゃんと伝えようと思うと、途端に「ケアンズ イズ クーラー ザン ジャパン」のように完璧な英文を作り上げようとしていた。しかしこれは日本の子供に置き換えたら、「おいちぃ!!」「おなかちゅいた〜」と言っている子供が、急に、

『ケアンズは日本よりも若干寒いですね。』

 と大人びた口調で言っているのと同じだ。これは気持ち悪い。そう思ったごーしゅーは、この時を境に、例え一言だけでも、とにかく頭に浮かんだ英語を投げかけようと考え方を改めた。するとその時から、今までは頭で考え、且つ一方的だった会話が、頭を通さず、スムーズに会話のキャッチボールができるようになっていた。ここが、ごーしゅーの言語観が大きく転換した瞬間だった。そして、そんなある日の夕方、その転換の象徴的な出来事が起こる。
 その日、ホストのママはいつものように夕食を作っていた。ごーしゅーはそれまで手伝おうかなと思いつつも、言葉をかける勇気がなく、それを見て見ないふりしていた。しかしこの日のごーしゅーは違った。ママが夕食を作っている姿を見ると、口から自然に、

「Can I help you?」

 という言葉が飛び出す。この「Can I help you?」という言葉自体は学校で習ったフレーズだが、そのフレーズが「手伝いましょうか?」という日本語に対応して出たのではなく、「手伝おうかな」という気持ちと夕食を作っているママという情景に引き出されてでてきたことに、自分自身が驚いた。それと同時に、ホストママはその「Can I help you?」に対して、

「いいのよ、部屋でごはんできるの待っててね。(英語)」

 と、何事もないように、自然な対応をしてくれた。

『英語が自然と口から出てきた!!』

 そのあまりのうれしさに、ごーしゅーは部屋に戻ると、1人で大きく“ガッツポーズ”を取る。そしてその日の日記にも、

『8月3日(Tue) 「Can I help you?」って言ってやった』

 と書き綴っていた。

『英語話してるじゃん!!』

 オーストラリアへ来た当初は英語が全く話せないと思っていたごーしゅー。しかし言語観を転換させたことで、話せないと思っていた英語は「話せる言葉」へと変貌を遂げたのだった。


B英語学校での出会い

 英語学校初日。その日は、まずペーパーテストと面接で、実力に応じたクラス分けをする。その結果、ごーしゅーは見事、“BEGINNERS CLASS(初心者クラス)”に決定。そして午後になるとさっそく、その“BEGINNERS CLASS”の授業が始まった。授業はまずONE、TWO、THREEから始まる。

「初心者すぎるだろ・・・」

 そう思いながらも、中高6年間、全くといっていいほど英語を勉強しなかったごーしゅーは、基礎の基礎からの授業を受ける。
 この時期、日本の夏休みということもあり、英語学校の生徒も、たいていは日本人であったが、その他にも少数ではあるが韓国の人、スイスの人、イタリアの人など、さまざまな国の人がいた。そして、ごーしゅーのいる“BEGINNERS CLASS”にも、1人、韓国の男性が所属していた。休み時間になると、その彼はごーしゅー達日本人に“BEGINNERレベルの英語”で話しかけてくる。他のみんなは負けじと“BEGINNERレベルの英語”で応対していたが、僕は日本に帰国した後のヒッポ入りをこの時すでに決めていたため、この人に韓国語で話しかけてみようと思っていた。とはいうものの、その時知っていたのは、ヒッポの講演会の時に聴いた、『アニョハセヨ』のたった一言。しかし、それでも、ごーしゅーは彼にそのたった一言の韓国語で声をかけてみた。

「あ・・・、あ・・・、あにょはせよ〜」

 すると彼は、今までの必死に英語を搾り出してしゃべっていた時のこわばった顔から一転、ぱっと明るい笑顔を見せて、喜んでくれた。そして、その彼は

「僕も日本語に興味があるから、お互いの国の言葉を教え合おうよ!!」

 と“BEGINNERレベルの英語”で言ってきてくれた。こうしてごーしゅーは、その韓国の人と、“たった一言の韓国語”で仲良くなることができた。この日から、彼の韓国語講座がスタートする。あいさつや数字の読み方など、基本的な単語の発音をアルファベットで書いて教えてくれるのだが、当時、全く韓国語の音をもっていなかった僕は、まったく覚えることができなかった。徐々に苦痛になってくる韓国語講座。結局その彼とはクラス替えになるまでの2週間、同じクラスだったが、その間に覚えられた韓国語は、元から知っていた『アニョハセヨ』。「すいません」という意味の、『ミヤラムニダ』。そして「I love you」という意味の、『サランヘヨ』のたった3つだけであった。
 学校は3週目に入り、クラス替えでその彼とは離れ離れになってしまったが、次の新しいクラスに入ると、今度は同じく韓国人の女性が同じクラスになった。

『この人にも韓国語で話しかけてみよう!!』

 そう思ったごーしゅーは、持っている全ての韓国語を使って、彼女に声をかける。

ごーしゅー 「あにょはせよ」
韓国人女性「えっ!?韓国語を知ってるの!?(英語)」
ごーしゅー 「みやらむにだ」
韓国人女性「へぇ〜、それも知ってるの!?(英語)」
ごーしゅー 「サランへヨ」
韓国人女性「きゃあぁぁぁぁぁ〜!!(悲鳴)」

 それでも、これをきっかけに、その韓国人の女性とも仲良くなれたごーしゅー。 たった一言、あるいは3つの単語でも、その国の言葉で話しかければ仲良くなれる。

『人と仲良くなるのに必要なのは、単語の“数”ではないんだ。』

 これは、のちにごーしゅーがヒッポで活動をしていく上で、この上ない教訓になった。


CCAIRNS

 ONE、TWO、THREEから始まった“BEGINNERS CLASS”の授業。しかし、日を重ねるにつれ、さすがに授業のレベルは上がっていき、1週間、2週間経った頃には、かなり実践的な授業へと様変わりしていた。日本の英語の授業とは違い、話すことに重点を置いたその授業。ごーしゅーはそこで楽しみながら授業を受け、気が付けば、“BEGINNERS CLASS”の中でトップクラスの成績をあげていた。

「なんだ。僕ってみんなより英語できるじゃん。」

 大学での中国語と同じように、英語ができると思うと、英語の授業はますます楽しくなってくる。そして、そんな好成績を修めていたごーしゅーは、先生からの信頼も厚く、クラスの中では、英語ができない日本人に、先生の言ったことを通訳する役目にまで成長していた。
 そんなある日の授業。先生は授業中やたらとごーしゅーのことを指名してきた。質問のたびにごーしゅーの名前(学校では『KEN』と呼ばれていた)を呼ぶ先生。

先生「・・・・・・、ケ〜ン?・・・・・・、ケ〜ン?」

『もう、しょうがないな〜。むずかしい問題はみんな僕に振ってくるんだから〜。』

 その質問に、得意気に答えるごーしゅー。しかし、ごーしゅーへの質問は何度も続く。あまりにも、何度も何度も質問してくるので、さすがにおかしいと感じ始めたそのとき、ごーしゅーはあることに気が付いた。

『あっ!!・・・・・』

 日本の英語の授業では、例文でよく、「〜 in JAPAN」や、「〜 in TOKYO」といった例文が出てくるが、オーストラリアでも例外なく、例文では、「〜 in AUSTRALIA」や、「〜 in CAIRNS(ケアンズ)」といったものが多用されている。
 この“CAIRNS”という言葉。日本語カタカナ読みだと「ケ・ア・ン・ズ」と読むが、
英語発音だと「ケィ〜ン」という発音になる。そう、先生は「KEN(ケン)」と呼んでいたのではなく、「CAIRNS(ケィ〜ン)」と言っていたことにごーしゅーは気付いた。

『・・・はずかしい・・・・』

 思い上がってた自分と、その自分のしていた行動を思い返し、授業中、ひとりで顔を真っ赤にしていたごーしゅー。ただ、これに気が付いたのは、単に状況だけではない。繰り返し聞いていたことによって、音がはっきりと聞き取れるようになっていたということも要因にあげられる。しかし、いずれにしろ、良くも悪くもこれをきっかけに「KEN」と「CAIRNS」が聞き分けられるようになったごーしゅー。1ヶ月の研修が終わる頃にはちゃんと、「KEN」と呼ばれたときにだけ答えられるようになっていた。
 オーストラリア語学研修最終日。この日の最後の授業で、生徒達はみな、成績表を受け取った。この成績表には「ヒアリング」、「リスニング」など、さまざまな項目に対しての評価のあと、一番下に担当してくれていた先生からのコメントが書かれている。成績表を受け取るごーしゅー。そして成績表を見てみると、ごーしゅーの成績表はこんなコメントが書かれていた。

『KENは日本人には珍しく“積極的に”授業に参加していた。』

 こんな経験を経て、ごーしゅーは日本に帰国。そして帰国後、ごーしゅーはすぐに新所沢のファミリーで、ヒッポの活動を始めることとなる。
 ここからようやく、ごーしゅーのヒッポの歴史がスタートすることになる。

     

♪キ〜ン、コ〜ン、カ〜ン、コ〜ン・・・

      

本日の「ごーしゅー史」の授業はこれにて終了。
それでは、今日の授業を、“ミニテスト形式”でおさらいしましょう。

      

「ごーしゅー史」 第2回ミニテスト(50点満点)

   

問1(5点)

      

ごーしゅーが語学研修で訪れたオーストラリアの都市として正しいものを、次の4つの中から選びなさい。

     

ア.SYDNEY
イ.CANBERRA
ウ.CAIRNS
エ.KEN      

    

         

問2(5点)

      

オーストラリアでのホストママが、ごーしゅーに向かって最初に言った言葉として正しいものを、次の4つの中から選びなさい。

     

ア.Hi!!
イ.Nice to meet you!!
ウ.So,You are SONOKO!!
エ.ICHIRO〜 SUZUKI!!
   

    

         

問3(10点)

      

ごーしゅーがホームステイ初日に“がっかり”した理由を30字以内で答えよ。(句読点も含む)

   

     

問4(10点)

     

ごーしゅーが英語でスムーズに会話のキャッチボールができるようになったのは、セミナーで聞いたノリダーの話を思い出したことがその大きな要因になっています。そのノリダーの話の要点を10字以内で答えよ。(句読点は不要)

   

      

問5(5点)

      

1999年8月3日に、ごーしゅーがガッツポーズをとった理由として正しいものを、以下の4つの中から選びなさい。

   

ア.ホームステイ先にかわいい女の子がやってきたから
イ.語学学校のクラスメイトの女の子に告白されたから
ウ.通学のバスの中でキレイな女性に声をかけられたから
エ.自然と口から英語がこぼれたから
   

      

       

問6(10点)

     

ごーしゅーが、語学学校のクラスメイトとなった韓国女性に話しかけた3つの韓国語を全て答えよ。
   

      

問7(5点)

      

ごーしゅーが、語学学校の韓国人たちと仲良くなったことで学んだこととは何か。次の( )の中に当てはまる語句を入れ、答えを完成させなさい。

『人と仲良くなるのに必要なのは、( )ではない。』

    

それでは、答え合わせです。

    

「ごーしゅー史」 第2回ミニテスト 解答と解説

   

問1(5点)

   

解答:ウ(CAIRNS)

      

SYDNEY(シドニー)はオーストラリア最大の都市。CANBERRA(キャンベラ)はオーストラリアの首都。KEN(ケン)は、ごーしゅーがオーストラリアで呼ばれていた呼び名で、「CAIRNS(ケィ〜ン)」と聞き間違えた。

     

   

問2(5点)

   

解答:ア(「Hi!!」)

      

オーストラリアに向かう飛行機の中のシュミレーションで、ごーしゅーはずっと、ホストは「Nice to meet you,too!!」と言ってくれるものと思い込んでいたため、「Hi!!」と言われたときに、何も返すことができなかった。

   

    

問3(10点)

   

解答例:同じ家にステイしている女性が、おばあさんだとわかったから。

      

『英語がわからないと思ったから』は×。ホストママの言った「SHE」という代名詞から、ごーしゅーは「SHE」→「女性」→「若い女の子」と想像してしまい、期待に胸をふくらませていたため、おばあさんが出てきた現れたとき、ごーしゅーはがっかりしたのであった。

   

     

問4(10点)

   

解答例:日本語に置き換えない

   

ノリダーが話してくれた話は「ヒッポには15ヶ国語(当時)もあるから、その言葉すべてをいちいち日本語に置き換えていたら、10個単語を覚えるにも150覚えなくてはならない。100個覚えようと思ったら1500。そんなことをしていたらいつまでたっても、15ヶ国語などできるはずがない。だからヒッポでは日本語に置き換えるのではなく、その言葉そのものを習得していくしかないんです。」というもの。英語→日本語、日本語→英語という作業をするのではなく、英語は英語のまま受けとめようとそのときのごーしゅーは解釈をした。
      

       

問5(5点)

   

解答:エ(自然と英語が口からこぼれたから)

      

夕ごはんを作るママの姿を見て、その情景と「手伝おう」という気持ちが重なったとき、自然とごーしゅーに口から「Can I help you?」という言葉が出てきた。そのごく当たり前のスムーズな会話できたことに対して、ごーしゅーは自分の部屋でガッツポーズを取ったのだった。ちなみに、「ホームステイ先にかわいい女の子がやってくる」「クラスメイトの女の子に告白される」「バスの中でキレイな女性に声をかけられる」といったことは、オーストラリアに限らず、生涯の中でも一度もありません。

   

      

問6(全て答えられて10点)

   

解答:「アニョハセヨ」「ミヤラムニダ」「サランヘヨ」

      

ごーしゅーが女性に対して「サランヘヨ」と言ったのは、あとにも先にもこれ一度きりです。
    

     

問7(5点)

   

解答:単語の数(人と仲良くなるのに必要なのは、単語の数ではない)

      

その言葉の単語をどんなにたくさん知っていても、相手に向かう開いた心がなければ、仲良くなることはできません。

   

「ごーしゅーのヒッポ史」・TOPに戻る