第4回きっかけの会・後カルタ

(2010年12月12日午前9時45分〜午後12時45分)

     

※このカルタはごーしゅーの淡い記憶をもとに裏取り無しで作成されているため
  事実と異なる場合があります。ご了承ください。

   

2010年11月14日、きっかけの会からのスピンオフ企画、

『全員にマイクが回ってくる会』が行われた。

主催するごーしゅーの会場取りの不手際から、

朝9時開始となってしまったこの会であるが、

それにも関わらず、会には20家族33名ものメンバーが集まってくれた。

会は文字通り『全員にマイクが回ってくる』ことをメインとした会。

SADA、そしてきっかけの会でもおなじみの

1分ジャストを目指す“ぴったりメタ活”のあと、

33名+主催のごーらこ全員にマイクが回る予定だったが、

結局会は時間内に会が収まらず、

あわてて用意していた別の部屋に場所を移し、

ランチタイムにはみ出てなんとか全員にマイクが回しきることができた。

  

この会のあと、参加したみんなからは、

『普段会えないメンバーの話が少しずつでも聴けて楽しかった』

などの感想をもらい、それなりに好評を得た

『全員にマイクが回ってくる会』であったが、

ごーしゅーの中ではずっともやもやしたものが残っていた。

  

(自分的には)あんまり楽しくなかったなぁ・・・』

  

疲れだけが残ったこの日の会。

ただでさえ会場取りの不手際や、時間配分のミス・・・、

その部分でうまくいかなかったという思いもあったが、

それに加えて、元々、通常のきっかけの会では

全員にマイクを回しきれないということで開催したこの会も

いざ開催してみると、全員にマイクを回すことにとらわれて、

1人1人の話す時間が短くなってしまい、

「ああ、この人もっと面白い話があるのにぃ・・・」

とその人の良さを引き出しきれなかったというもどかしさが

大きく残る会になってしまった。

   

『果たして自分はこんな会がやりたかったのだろうか・・・』

  

参加してくれたみんなの感想と自分の感想とのギャップ。

喜んでもらえたのだから、またやろうかと思う反面、

人が喜ぶだけで自分が楽しくない会を続けるのはつらいという思いもあり、

ごーしゅーは今後自分がどういった会をやっていくべきか悩んでいた。

  

そしてもう一つ、この会では、

いつもきっかけの会に参加してくれていた、

ごーしゅーが所属する新宿土曜朝まってぃーなファミリーのフェロウ、

グレースが参加していなかった。

今回の会での反省点を、同じ作り手の視点を持つグレースと

分かち合えないという部分も、ごーしゅーを苦しめていた。

  

『きっかけの会を1人でやっていくのは限界・・・』

  

きっかけの会立ち上げ当初、

会をやることはグレースに承認を得ていたものの、

ごーしゅーは“自費開催”というものを盾に、会場の日取り以外は

人の意見を取り入れずに、ほぼ独断で会を開催していた。

それは自分のイメージしているものを反映できるという意味では

非常に効果的な方法ではあったが、

一方で、その方法は本来の所属ファミリーであるはずの新宿ファミリーに

必ずしも還元できるものではなかった。

それなりにグレースも新宿のメンバーも参加してくれてはいたものの、

ただ自分の好き勝手でやっている活動だから、

なんとなくファミリーできっかけの会の話をしづらい・・・。

まして、『全員にマイクが回ってくる会』は

フェロウのグレースすら参加していないのだから、

とてもじゃないがファミリーでその話をできない・・・。

回数を重ねれば重ねるほど、

“フェロウ非公認”の会であることの後ろめたさがのしかかるようになっていた。

   

『ちゃんとグレースと話し合おう』

    

そしてこのグレースとの話し合いを後押したのは、

ごーしゅーの妻であるらっこん。

元々らっこんも“ごーらこ主催”という名のもと、

きっかけの会に協力はしてくれていたが、

ある意味、らっこんもごーしゅーの独断に振り回されてきた人間の1人。

ごーしゅーが『全員にマイクが回ってくる会』で感じた自分の本音をぶちまけた際、

ごーしゅーは逆にらっこんからごーしゅー自身のヒッポへの取り組み方や、

会の作り方に対する不満をぶつけられ、

そこで本来もう一人の作り手であったはずのらっこんと

話し合い、アドバイスをもらえたことが、

グレースと向き合う覚悟をする後押しとなっていた。

    

そして来たる11月20日、まってぃーなファミリーの前の時間を使って、

らっこん立会いのもと、グレースとごーしゅーによる話し合いが行われた。

そこではきっかけの会の今後についての話し合いはもちろんだが、

グレースが感じていた不安、あるいは、今後ごーしゅーが

どのように新宿のファミリーと関わっていくべきかという話しも交わされた。

   

ごーしゅーは今の新宿土曜朝まってぃーなファミリーが5つ目の所属ファミリー。

ごーしゅーは過去にとても思い入れがあった

ばふんばふんファミリー、よってケロファミリーが

相次いで閉鎖になったりということもあり、

外様メンバーとして途中参加したまってぃーなファミリーには

自分の重心のすべてをかけてファミリーに参加することはせず、

どこか逃げ腰で、関わっているようで関わりきれていない現状があった。

ファミリーのメーリングリストにも入らない。

同じ時間の裏ファミリーに行くこともしばしば。

しかし、きっかけの会をこれからごーしゅー独断の会ではなく、

フェロウのグレースにも作り手として関わってもらいながら作りたいと思ったときに、

ごーしゅーは自分の中で

『本気で新宿の環境作りに関わる』という決断が必要だと感じた。

そんな宣言なども交えつつ、話し合いの末、

第4回きっかけの会からは、

ごーらこ&グレースプロデュースという冠がつき、

きっかけの会は“フェロウ公認の会”として、

新たなスタートを切ることとなったのだった。

   

今回のきっかけの会、

変更されたのは“フェロウ公認の会”になったという点だけではない。

まずは『受付』

これまで受付はごーらこが対応するか、

もしくは参加者にセルフで受付をしてもらう形式にしていたのを、

ちゃんと受付担当をつけ、会場内の出入りの監視と、

100円の取りっぱくれを防止する対策を取った。

そしてその受付を担当してくれたのが、新宿ファミリーのメンバーたち

ごーしゅーがこれまで参加していなかったファミリーのメーリングリストに参加し、

そこで新宿メンバーの協力を呼びかけたところ、

なんと入会間もないメンバーのウィナーを筆頭に

くろちゃん、かなじん、じゅんじゅん、アイアイ、そしてグレースが

次々と手をあげてくれ、当日飛び入り受付をしてくれたメナムも含め、

会の受付を担当してくれた。

そして『司会』

これまでごーしゅー単独で司会をしていたものを、

今回は本来共催者であるらっこんにも司会を担当してもらうこととなった。

   

そんな紆余曲折といくつかの変更を経て開催された新生きっかけの会

12月12日午前9時、ごーらこはいつものように、会場入り。

ごーらこは机、椅子などを出し、会場の設営を始める。

すると午前9時15分、会場に、きっかけの会ではおなじみ、

この日は満を持してゲストとして参加の岐阜のメンバー・JOと、

同じ中部から参加のたぁちゃんふぅがやってきた。

いつもJOからは交通費をかけて来てくれた上に、

会費の100円までもガッツリとむしりとっていたが、

この日はゲストということもあり、100円は免除。受付だけを行う。

そしてこの2人のあとにやってきたのは、

受付係に手をあげてくれた、入会半年の千歳烏山メンバー・かなじん。

かなじんは端麗な容姿とはうらはらの天然ぶりを発揮し、

ごーらこと中部から参加の2人の男性をかき回していた。

そのあと続々と受付担当の新宿メンバーたちが集合する中、

ごーしゅーは会の途中でおしっこがしたくならないよう、

3階の会場から駆け足で1階まで降り、トイレで排尿を済ませる。

その間に、今回初めてファミリー単位でのゲストとなった

“守屋じんこ率いる東長崎ラササヤンファミリーのみなさん”が続々と集結。

他にもきっかけの会常連の東急のまみちゃん、みおちゃん、こうへい君一家、

仙台から初の参加となるアキ、この日も岐阜から参加のかえるちゃん、

さらには池袋地域から大挙メンバーが押し寄せたことなどもあり、

第4回きっかけの会は、会がスタートする朝9時45分の会開始早々で、

早くも50人近いメンバーがひしめく、怒涛の幕開けとなった。

  

会はごーらこの司会あいさつとスタッフ紹介の後、さっそくSADAがスタート。

SADAは中部から参加のJOとたぁちゃんふぅを中心に、

約1時間、会場である四谷ひろば・多目的ルームに

ぎっしりと詰まったメンバーたちが、所狭しと踊りまくった。

SADAのあとはメタ活。

メタ活はこの日もきっかけの会名物の“ぴったりメタ活”。

60秒ぴったりを目指したメタ活は、

序盤に目白のフェロウであるマギー・チャンが59秒を出す滑り出し。

しばらくはそのマギー・チャンの天下が続いたが、

そのマギー・チャンの壁を打ち破ったのが、

マギー・チャンがメンバーとして所属する東長崎ラササヤンFのメンバーで、

第2回のきっかけの会で“3Dメタ活”を披露したアメリの娘のはな(小5)。

はなは「韓国語の電話の場面」で見事60秒ピッタリを記録。

その後、初代ピッタリ王となった、新宿メンバー・るんば&アニーの追撃も及ばず、

この日は見事はなが2代目ピッタリ王の称号を得て、

キャンディキャンディ作成のお菓子のレイを獲得した。

   

ピッタリメタ活のあとは、きっかけの会のメインであるゲスト話。

この日の1組目は“守屋じんこ率いる東長崎ラササヤンFのみなさん”。

ごーしゅーはこのラササヤンFには09年の夏ごろから通い始めたが、

ごーしゅーはファミリーに行く度に

フェロウのじんこ、そしてメンバーたちの“環境を作るパワー”を感じていた。

それもあり、今回は“ファミリー単位”でのゲスト指名となった。

   

この日すでにSADAでもピッタリメタ活でも

存在感をしめしていた東長崎ラササヤンFの面々であるが、

ここでも話の前にまず、マギー・チャンと、メンバーのステファニーによる、

“ホワッツヒッポ劇”が披露された。

外国の人と話せないマギー・チャン演じる主婦が、

ステファニー演じる主婦の“赤ちゃんのようにマネをする”というアドバイスを受けて

外国の人と話せるようになっていくプロセスを描いたこの“ホワッツヒッポ劇”

元・演劇女優の看板を引っさげて登場のマギー・チャンと、

ステファニーのその演技、そしてファミリーのメンバーたちによるコーラスに、

この日参加したメンバーたちは約10分間の劇に釘付けになっていた。

   

そしてその劇のあとは、ラササヤンFのフェロウ・守屋じんこの登場。

10月に行われた新宿講演会でも講師として話をしてくれたじんこ。

この日は「ファミリー」というところにテーマを絞っての話。

入会して数年はメンバーとして、ヒッポを楽しんでいたじんこ。

しかしある日、ご近所さんをヒッポに誘ったところから、

次第に自分でファミリーを立ち上げようという思いが芽生え始める。

そうして誕生したのがラササヤンF。

そのラササヤンFが誕生してすぐ、じんこは中国交流に申込をした。

申し込みをした時点では全く中国語が話せなかったじんこ。

そのじんこの姿を見かね、入会したばかりのメンバーたちは、

こんな状態でじんこを中国に送り出すわけにはいかないと、

たくさんCDを聞き込んで、ファミリーで歌ってくれた。

そしてそうこうしている間に、じんこを含めファミリーの皆が、

あっという間に中国語が一本歌えるくらいに成長したという。

ただCDを聴くだけではなく、

ファミリーでみんなで一緒に歌ったからこそ、

CDを歌えるようになったと言い切るじんこ。

ファミリーの中で互いに受けとめあいながら言葉が成長していく様子を、

じんこは克明に話をしてくれた。

   

通常、ファミリーはフェロウが仕切って進めていくのが一般的だが、

ラササヤンFではメンバーが作り手となった会を多く行っている。

そのせいか、ラササヤンFのメンバーたちは皆、積極的にファミリーに関わり、

各々会を開く際も、メンバー同士が声をかけあって会を成立させている。

じんこ自身は「自分が関わらないほうがうまくいく」と謙遜をしていたが、

そこにはフェロウやメンバーという立場など関係ない、

極めてオープンな誰もが平らに

言葉と人間を育てあう環境が広がっている。

ラササヤンFがそんな環境になった理由の一端を、

今回のじんこの話からは感じ取ることができた。

   

第1回きっかけの会でゲストだった千歳烏山のフェロウ・マロンちゃんも

身近な人がメンバーになったことで、

フェロウになる決心をしたという話をしてくれた。

やはりフェロウになるプロセスとしては、これが自然なプロセスなのか??

そういった重なりも感じることができたじんこの話。

最後は講演会などでもよく披露している、

交流先で歌った和田アキ子の「抱擁」など3曲を熱唱、

さらにはまったく心を開かない受け入れたアメリカの青少年の話など、

盛りだくさんの話をじんこは話しきってくれた。

  

トップバッターから大いに盛り上がったゲスト話。

2番手は、もともと京王線地域の学生メンバーで、

今は結婚して1児の父親である、現新宿メンバーの小俣おまーにゃ。

普段から新宿土曜朝まってぃーなファミリーでも

独自の視点からの話してくれるおまーにゃ。

入会してからおよそ8年ほどのおまーにゃは、

まず、独身時代の話から話をしてくれた。

  

入会してしばらくはヒッポの「自然習得」や「赤ちゃんの方法」というのが

理解できなかったというおまーにゃ。

ヒッポの楽しさを見出すこともできず、

かといって交流に行って話せるようになるのも

なんだか違うんじゃないかと思っていたというおまーにゃであったが、

どうせ辞めるなら辞める前に交流に行ってみようと望んだ

イタリア交流がきっかけで、ヒッポの楽しさに目覚めたという。

そんなおまーにゃの話で印象的だったのは、

後半に話してくれた、2歳半になる息子・こきーにょの話。

おまーにゃも、おまーにゃの妻であるアンも、

共にフィンランド交流に参加していることもあり、

ファミリーではよくフィンランド語で自己紹介をしている。

そんな環境で、おまーにゃはこきーにょも当然、

フィンランド語で自己紹介をしだすものと考えていたが、

実際にこきーにょが話し出したのはスペイン語の自己紹介であった。

   

スペイン語の自己紹介は家でもしていないのになぜ・・・??

  

そこで出たおまーにゃの見解は、

(こきーにょは)一番みんなの反応のいいことばを話しているんだ」ということ。

ファミリーでは自分よりもちょっと大きなお兄ちゃんたちが、

スペイン語で自己紹介をして、みんなに反応をしてもらっている。

こきーにょはそれをマネているんだ。

  

前回のきっかけの会でゲストだったキャンディキャンディが、

「赤ちゃんは自分に必要なことだけを理解して行動している」

という話をしていた。

こきーにょにとってファミリーの中で

みんなとコミュニケーションを取るのに必要だったことばはきっと

フィンランド語ではなくスペイン語だったのであろう。

そんなこきーにょを見つめながら、おまーにゃは、

入会当初理解できなかったはずの「自然習得」「赤ちゃんの方法」を、

今確実に理解していっている。

   

そんなおまーにゃの話のあとは、

下町地域・竹の塚TUTTIファミリーメンバー・みぽりんの話。

みぽりんは入会11年の社会人メンバー。

に話したおまーにゃとはフィンランド交流に行ったという共通点があるが、

それ以外にももう一つ共通点があった。

それはみぽりんもまた、

ヒッポを辞めようと思っていたときに交流に参加し、

ヒッポの楽しさに目覚めたという点。

その楽しさを見つけたフィンランド交流の話をみぽりんはしてくれたが、

話を聴いていたメンバーたちには皆、その時まさに重なった、

「辞める前に交流」というキーワードが強く心に響いたようだった。

   

きっかけの会はこの日で4回目。

この段階ですでに計14組のゲストが話をしてくれたことになるが、

じんことマロンちゃんのフェロウになるプロセスの重なり、

またおまーにゃの話は、第2回にゲストで話をしてくれたつまみちゃんの、

「交流に行って話せるようになるのは違うと思っていた」という話と

重なるところがあった。

そしてみぽりんの話は、まさにおまーにゃと「辞める前に交流」で重なった。

きっかけの会でのゲストの話は、皆、

ただヒッポは楽しいというお気楽な話ではなく、

楽しい時期と楽しくない時期の波があり、

それを乗り越えてきたというプロセスの重なりがある。

そしてこの日のトリとなった岐阜のJOの話もまた、

その重なりを感じる話であった。

  

JOは新宿メンバーのくろちゃんとロシア交流に行ったことが縁で、

事あるごとに新宿のファミリーに遊びにくるようになり、

岐阜のメンバーであるにもかかわらず、

きっかけの会にも4回中3回目の参加となる。

今回リニューアルとなったきっかけの会であるが、

会を立ち上げた当初のごーしゅーの思いに響いて

これまできっかけの会に参加してくれていたJOの話を、

ごーしゅーはここでどうしても聴いておきたいし、

またみんなにも話を聴いてほしかった。

そんな思いもあり、第4回目にして満を持してJO登板。

   

そのJOも入会はみぽりん、そしてごーしゅーともほとんど変わらない、

入会約11年。

今でこそ、SADAがとても魅力的なJOであるが、

入会当初は、SADAにも嫌悪感を感じ、

ファミリーにもそれほど出ていなかったため、

ヒッポの楽しさを感じることなどはほぼ皆無に近かったという。

そのため当時準備入会で参加していたJOは、

準備入会期間が終わる3ヶ月が経過したとき、

そのまま辞めることを考えていた。

しかし当時JOが入会したファミリーにはメンバーがおらず、

当時のフェロウはJOがファミリーを続ける生命線であったため、

JOは「この人僕に気があるんじゃないか!?」と思うくらいに

そのフェロウに大切に育てられていたらしい。

その手前、辞めるに辞められなかったJOは、

結局、正入会に切り替え、本格的にヒッポメンバーの道を歩むこととなる。

その後、最初は出ていなかったファミリーも、出会いを重ねる中で、

徐々にいろいろなファミリーに出始め、それに比例して、

ヒッポの楽しさを感じ始めることとなったJO。

どんどんその楽しさにハマりはじめたJOは、

さらにたくさんのファミリーに出て、やがて歌って話せるようになり、

「CDなんて聴かなくてもファミリーに出ていれば話せるようになる」

と豪語するようになったという。

しかしその後、またファミリーに出れない時期が続くようになり、

JOの中から多言語の環境が消えていくと、

JOはそこでみんなとCDの音を共有することの大切さに気づいたという。

それからロシア交流に参加したことなどを機に、その行動範囲はさらに広がり、

いまや全国各地のヒッポを飛び回っているJO。

このJOの11年間の浮き沈みのプロセス。

その話はまさにごーしゅー自身の浮き沈みのプロセスとピッタリ重なっていた。

   

入会当時は大学生だったごーしゅー。

当時はまだイヤロン上がりの大学生はおらず、

希少な大学生メンバーとして西武線を中心に重宝され、

いろんなファミリーに呼んでもらって、

豊かな環境の中、すくすくと成長したごーしゅー。

そうしてたくさんのファミリーに出る中で、ごーしゅーもまた、

「ファミリーに出ていればCD聴かなくても話せるようになる」

と豪語していた。

しかし社会人になり、またファミリーにあまり出なくなってからは、

言葉の環境も、人間の環境もなくなり、ヒッポでやっていくことに限界を感じていた。

ただいろんなきっかけを経て、またファミリーに出るようになってから、

今度はCDを聴いてみんなと音を共有することの大切さを身にしみてわかるようになる。

  

復帰当初まったくイチローのCDを聴いていなかったごーしゅー。

それは自分の行動範囲の中では、イチローが流行っておらず、

イチローのCDを聴く必要が全くなかったことに他ならない。

また当時イチローのCDを歌っていた人たちは、

不自然に頑張って覚えて歌っている人たちが多かったため、

イチローのCDには嫌悪感さえ覚えていたが、

たくさんのファミリーにでるようになると、イチローをやっているファミリーも多く、

まず音を共有することが、人と向き合う第一歩となるようになる。

それでもしばらくは苦手だったイチローのCD。

そのイチローのCDを聴くようになったきっかけが、JOだった。

JOが新宿のファミリーに遊びに来たある日、

JOが歌ってたイチローのどこかの場面が、とても大波で心地よく、

ごーしゅーはその時初めて、イチローのCDを楽しいと感じ、

自分もJOのように自然な感じでイチローのCDを歌いたいと

イチローのCDを聴き始めたのだった。

   

各所に自分との重なりを感じ、心に響いたJOの話。

まさにこの時一番聴きたかった、

そして自分がこのきっかけの会を通じて伝えたいことを代弁してくれたかのような、

ごーしゅーにとっては本当にありがたいJOの話だった。

  

この日のゲスト話は以上4組で終了。

その後、遠方から来てくれたメンバーたちを中心に

数人を紹介がてら感想を聞き、

また最後には改めてらっこん、グレースを始めとする、

今回この会に作り手として関わってくれたメンバーの感想を聞いて会は終了。

今回の参加人数はごーらこも含め実に42家族69名

生まれ変わったきっかけの会は、大盛況の中、幕を閉じたのだった。

   

11月の『全員にマイクが回ってくる会』の時は、

あんなにツラかった自分で作る会。

しかし今回の『第4回きっかけの会』は

1日を通し、終始楽しい時間を過ごせることができた。

その違いは何か。それは、みんなと一緒』を感じられたか否か

毎回、本当に人が来るのかどうかと、

精神的に追い込まれながら、皆が来るのを待っていた日々。

しかし今回はグレース、そして新宿のメンバーたちが

作り手として関わってくれていたこともあって、

たとえ人が来なくても、この作り手のみんなと一緒にやればいいやと、

大きな心のゆとりがあった。

それがとてもとても大きかった。

7月に自分の独断でスタートした会は、

きっかけの会4回と全員にマイクが回ってくる会1回を経て、

今大きく成長しようとしている。

これからも、らっこん、グレース、新宿メンバー、

そして集まってくれる全ての人と、きっかけの会を一緒に作っていきたい。

そしてこの会をきっかけにして

たくさんの人と出会い、

そして、たくさんの発見をしていきたい。

  

次回以降も『きっかけの会』をよろしくお願いします。

       

         

きっかけの会本編終了後、昼食をはさみ、午後から行われたのは、

JO、かえるちゃん、くろちゃん、さんばるんばが年末年始に参加する、

マサイ族ツアーの準備会。

会では改めてJOとSADAをしたり、スワヒリ語をたくさん歌ったり、

またすでに一度マサイ体験をしているJOのマサイ話を聴いたりと、

午後も残ったメンバー約20名強で、充実した準備会を執り行うことができた。

そしてこの会では、腹案としてあったマサイSADAも一応の完成を見せた。

まだまだ改善の余地はあるが、

それはマサイツアーメンバーたちが帰ってきてからのお楽しみ。

果たして今後マサイSADAはどのように成長していくのか!?

   

次回、『第5回きっかけの会』では、

マサイSADAの成長を含め、このマサイツアーに参加したメンバーたちの話、

さらには今回ゲストだったじんこらが行く冬のメキシコ交流など、

冬交流、あるいは年末年始の受け入れ話を聴く機会も用意する予定。

そんな『第5回きっかけの会』

2011年2月11日午前9時45分からスタート。

午前中は、『マサイ&冬交流のさくさく報告会』、

午後は、SADA、メタ活、そしてゲスト話で盛り上がる、

通常のきっかけの会本編を行う予定です。

会場はいつもと同じ“四谷ひろば・多目的ホール”

   

次回『第5回きっかけの会』へのご参加、

お待ちしています!!

   

第5回きっかけの会のカルタはこちら

  

特典!!

ごーしゅー作・ヒッポ川柳

※第4回きっかけの会内で紹介した、ごーしゅー作のヒッポ川柳を公開!!

 

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