第1回きっかけの会・後カルタ

(2010年7月19日・午後1時30分〜午後4時30分)

   

※このカルタはごーしゅーの淡い記憶をもとに裏取り無しで作成されているため
  事実と異なる場合があります。ご了承ください。

2010年7月19日午後0時40分、

きっかけの会の主催者であるごーしゅーとらっこんは
第1回きっかけの会の会場である四谷ひろばに到着した。
マイクとアンプを事務室から借り、B館3階・多目的ホールに向かうごーしゅーとらっこん。
そしてホールに入ると、まず電気をつけ、冷房を入れ、扇風機を回し、カーテンを開け、
イスを出し、机を出し、マイクとアンプの音のチェックをする。
そして出入り口の手前にヒッポのポスターを貼り、
もう一方の出入り口は使用しないよう、「←入口はあちら」の掲示を貼る。
さらに「会場内土足禁止」「トイレは1F」「ろうかに出ない」の注意書きを出入り口に貼り、
受付には会費の100円を取りっぱくれないよう、
『会費100円』の文字を赤のマジックで強調。
そうこうしている間に、あっという間に時刻は午後1時15分。
きっかけの会開始まであと15分と迫ると、
最近トイレが近くなったごーしゅーは、
会の途中でおしっこがしたくならないよう、1階のトイレに向かった。
排尿をすまし、3階のホールに戻ってきたが、まだ来訪者の姿はなし。
携帯電話を開くと、そこには「13:25」の文字。
果たして人は来てくれるのだろうか。ごーしゅーに不安が募る・・・。

   

と、その時、廊下に出ていたらっこんが誰かを発見した。

    

「あっ!」

     

まこちゃん一家だ!!
今回ゲストスピーカーとして来てもらった渋谷スマスマF所属の
まこちゃん(母)、MJ(父)、のっぴー(娘)、かいとん(息子)の4人家族。
このまこちゃん一家がきっかけの会の記念すべき1組目の来訪者となった。
そしてそのすぐあと、ごーしゅーにとっては見慣れた顔がやってくる。
ごーしゅーと共に、ばふんばふんF(04年)、よってケロF(05〜06年)、
ビックハグF(06〜08年)と渡り歩き、
現在は新宿水曜橙Fに所属するキャンディキャンディ(母)、アニー(娘)、テリーさん(息子)の一家。
そのキャンディキャンディ一家が“土足で”会場に足を踏み入れた。
この2家族がやってきたところで、時刻は午後1時30分。
本来なら開始時間であるが、まだ人が少ないので、
なごみタイムをやろうとしていたところ、
そこから続々とメンバーたちがやってくる。
新宿月曜メンバーのくろちゃんと、くろちゃんのロシア交流仲間で、
この日のためにはるばる岐阜から来てくれたJO。
自費で駆けつけてくれたJOからもごーしゅーは100円をむしり取る。
そして新宿月曜メンバーでこの日のゲストスピーカーのなごみちゃん。
新宿月曜&土曜朝フェロウのグレース。
田無のフェロウで11年前ごーしゅーをヒッポの道に誘いいれたアイアイ。
さらに元・平井のメンバーでこの8月から新宿に移籍をしてくるじゅんじゅん&娘・みおんちゃんと
ある程度の人数が集まったところで、ようやく自己紹介タイムが始まった。
自己紹介タイムでは各メンバーがそれぞれ自己紹介。
この夏ロシア交流に行くアニーが、ロシアのホスト紹介と、
前日にロシアのホストに電話をかけた話などをする中、
この日のゲストの千歳烏山フェロウ・マロンちゃん一家、
同じくゲストの溝の口フェロウ・アロマ一家、
新宿水曜橙Fメンバーのさんば、新宿月曜ぼらっちゃFのメナムなども続々と駆けつける。
こうしてやってきたメンバーたちに話をしてもらい、会は早くも30分が経過。
ここでようやくSADAの時間となった。

      

SADAは、まずJOが新宿に運んできてくれた『魔法のじゅもん』からスタート。
JOの「は〜い!」という掛け声と笑顔、そして足が4本に見えるスキップで、
SADAは1曲目から大いに盛り上がる。
その後、ごーしゅー作の「ボディビルSADA」「お父さんの好きなお馬さんのSADA」
「鼻毛SADA」の3部作を筆頭に、「カンフーSADA」「ソウル」
「ヘッドショルダー」「ジェリコ」などなど、踊り系のSADAで盛り上がる。
また「ロンドンブリッジ」では、まこちゃんが「カンビオ」「駆け足」などの
「ロンドンブリッジ」の新たな可能性を提示してくれた。
こうして40分ほどSADAが続いた後は、メタ活。
メタ活ではごーしゅーのスペイン語のタイトルをスタートに、
次々と指名を受けたメンバーたちがリレー形式で歌う。
さんば→JO→なごみちゃん→マロンちゃん&イチゴちゃん→
ロッシー→ビーバー&ポッキー→あざぽんとつながり、
最後は再びごーしゅーが韓国語の空港を歌って、メタ活終了。
時刻は午後3時。
ここから本日のメインであるゲストスピーカー5人の「きっかけ話」がスタートする。

      

第1回きっかけの会の栄えあるトップバッターとなったのは、
千歳烏山で5月にファミリーを始めたばかりの岸本マロンちゃん。
マロンちゃんには10日ほど前にスピーカーの依頼をし、
「ヒッポに入ったきっかけとかヒッポが楽しくなったきっかけとか
 フェロウになったきっかけとかメヒコにこの夏交流に行くことにしたきっかけとか
 何でもいいから話してください」

とかなり人まかせな依頼であったにも関わらず、
マロンちゃんはわずか10数分の間に全てを盛り込んで話してくれた。
兵庫県西宮で生まれ育ったマロンちゃん。
西宮から出たことのなかったマロンちゃんがご主人の転勤で東京に来ることになり、環境が一変。
誰一人として知り合いがおらず途方にくれていたところで見つけたヒッポ。
しかし最初は何が面白いのかすらわからず、また芸術系出身の性もあり
「人のマネをするなんてオリジナリティのかけらもない」と輪に入れずにいた。
そんなマロンちゃんがきっかけを見つけてヒッポが楽しくなり、
やがて近所のお母さん仲間にもヒッポをやろうと声をかけるようになる。
それにより入会したのが千歳烏山(フェロウ:岩口ピース)のメンバー・フラワー。
マロンちゃんはそのフラワーの成長を見ているうちに、
自分が環境を作ってもっとたくさんのお母さん仲間とヒッポをやりたい、
成長を見つめていきたいと思い、それがフェロウになるきっかけだったという。
さらにはそんなフラワーに交流を薦めているうちに、マロンちゃんは
「じゃあ自分は?」と問いただし、
自分自身もこの夏初めてのメキシコ交流に参加することになった。
ひとつのきっかけがまたきっかけを生み、そのきっかけがきっかけを生む。
そしてそのすべてが自然につながっているという、
まさに「きっかけの会」のトップを飾るにふさわしい話をマロンちゃんはしてくれた。

      

2人目のゲストは常石アロマ。
ごーしゅーが偶然ベベフィーに参加したのをきっかけに発見したことを綴った、
手記「きっかけはベベフィー」。
その話をベベフィーメーリングリストで聞きつけ、
読みたいとアロマが手をあげてくれたのがアロマと知り合ったきっかけだった。
それをきっかけにごーしゅーがアロマのファミリーに遊びに行った時の話、
この日は最初の1時間、大人はごーしゅーとアロマ2人だけという状況だったが、
その時にアロマがヒッポに入ったきっかけなどを話してくれ、
どの話も面白かったことが、今回この「きっかけの会」のゲストに来てもらうこととなった。
こうしていろんな偶然が重なり、つながった縁。
しかしこうした偶然もアロマは「必然だった」と言い切る。
そんなアロマがヒッポに入会をしたのはおよそ5年ほど前、
しかし実は10数年前、大学生の時にも一時的に入会していたという。
ヒッポの理論には共鳴したものの、大学生で遊びに夢中だったため、
ファミリーに出た記憶はほとんどなし。
だがアロマは一旦退会した後も手元に残ったテープを自分で聴いたり、
子供が生まれてから、そのテープを流したりしてみていた。
そしてヒッポに再入会。
するとその時、自分自身に10数年前に聴いていたカバジンの音が蘇り、
テキストの英語も文字を追うことなくスラスラと歌うことができた。
溜まっていた音が環境によってあふれ出す体験をしたアロマ。
しかしそんなアロマも英語以外の言葉は全くと言っていいほど出てこなかった。
一方で子供たちはというと、どの言葉もあっと言う間にいえるようになっている。
一体何が違うのか?
そこでアロマは子供たちは音をただ聴いて音をためているだけではなく、
聴いたらすぐ口にするということをしていることに気づく。これこそが自然なんだ。
アロマのベベフィ的視点から自然習得のヒントが浮き彫りになる話に
ごーしゅーは何度もうなづいていた。

      

続いて3人目。3人目のゲストはなごみちゃん。
地元・厚木で入会し、愛知県のファミリーを経て、
現在ぼらっちゃFに所属している社会人メンバー。
普段からとても自然にヒッポを楽しんでいるように見えるなごみちゃん。
今回はぼらっちゃFの体験会で話をしていた「中国語がわかった話」のネタで、
見事ゲスト枠を勝ち取った。
地元のマツモトキヨシに行ったなごみちゃん。そこに中国人らしき人たちがいた。
そこでなごみちゃんの耳に飛び込んできたのは「フーチン」という音。
普段ファミリーで自己紹介のときに聞いていた「フーチン」という音と状況から、
なごみちゃんはその中国人たちが
『その列の側に並んでるとレジに並んでると間違えられるよ』
と言っていたことがわかったという。
もしかしたら子供ってこんな風にして飛び交う言葉を理解しているのかもしれない。
そんなことを思わせるなごみちゃんの話だった。

      

4人目のゲストもなごみちゃんと同じ新宿月曜ぼらっちゃFメンバーのメナム。
2002年、ぼらっちゃFが創設された当時からの最古参メンバーで、
ごーしゅー&らっこんとも家族ぐるみで付き合う周知の間柄だが、
意外にもメナムの体験談というと、ごーしゅーもらっこんもあまり耳にしたことはなかった。
そんなメナムの話。
メナムは入会当時、同期メンバーに講演会や体験会でひっぱりダコだった
スターメンバーがいたために、そのメンバーと自分とを比較してしまい
なぜ自分は成長しないのかと苦しんだという。
しかしヒッポ創設当時からのフェロウ・井内わかちゃんの講演を聴いた時に、
赤ちゃんの成長は階段のように、平らなところが続いて急に一段上がり、
また平らがつづくんだという話を聴いて、
「今、自分は平らな部分にいるんだ」と気が楽になったという。
そんな話を緊張しいのメナムは声を震わせながら、一生懸命話してくれた。
実は今回メナムをゲストに選考した理由はまさに今書いてあるようなことだった。
確かに一時期もてはやされるスターメンバーというのはヒッポには数多く現れる。
しかしその多くは流れ星のように一瞬輝いた後、姿が見えなくなってしまうことが多い。
ヒッポは長く続けてこそ意味のある活動だと僕、ごーしゅー自身は思っている。
それが一等星でも二等星でも三等星でも、それが輝き続ける恒星であれば、
星座の一部をなして歴史に名を残す星になる。
そういう意味でメナムはこの8年間、ぼらっちゃFの中で常に輝き続けていた星。
だからこそ今回このきっかけの会でそのメナムの話を聴きたかった。
今回メナムの話に感動していたのはらっこん。
らっこんは話の中身もさることながら、
メナムが人前で話していることに涙が出そうなくらい感動したらしい。
ヒッポを長く続けている人は例え派手な活躍をしていなくても、
どこかで人の心を奮わせる輝く部分を持っているんだと、
このメナムの話する姿をきっかけに気づかされた。

      

そして5人目、今回のきっかけの会スピーカー陣のトリを勤めたのが、
渋谷土曜スマスマFのまこちゃん、MJ、のっぴー、かいとんの一家。
まこちゃんの姿は数年前からスマスマFで見かけていたが、
ここ最近、その輝きが一段と増しているように見えていた。
そのきっかけはベベフィであったり、
それまでヒッポから距離を置いていたご主人のMJが復帰したことにあったようだが、
そう言った話を家族全員の口から話してくれた。
当初はまこちゃんと娘ののっぴー2人で参加していたヒッポ。
夫のMJを誘い込もうとファミリーのメンバーのサポートを得ながら手段を尽くすが、
MJは逆に「姑息な手段を・・・」と心が離れていく一方。
しかしまこちゃんが2人目のかいとんを妊娠したのをきっかけに、
ヒッポが好きなのっぴーをMJがファミリーに連れていかなければならなかったことから、
MJはいやいやファミリーに足を運ぶようになる。
そこでファミリーのみんなが自分を受け入れてくれ、
言葉を発すればほめてくれているうちに、MJはファミリーに行くのが楽しくなったという。
またまこちゃんは2人目のかいとんが生まれたことで、
このかいとんを今度は『赤ちゃんはどうやって言葉を話せるようになっていくのか』という
ベベフィの視点で子育てをするようになり、
これもまたヒッポをより楽しむきっかけとなった。
今では家族4人が共に受けとめあい、時にはライバルとして刺激し合いながら、
ヒッポを楽しんでいるまこちゃん一家。
まさに『家族で楽しむヒッポ』という部分を話してくれた。

      

この5人の話を合わせて1時間あまりたっぷりと聞いて、
そのあとは、“むちゃぶりタイム”。
ごーしゅーが勝手に指名し、人前に立たせ、話をさせるという、
話す人にとってはしゃべりづらさこの上ないこの時間。
最初のJOにはじまり、こちらも遠方の埼玉から来てくれたお父さんメンバー・あざぽん。
今年7月につつじヶ丘でファミリーを立ち上げた二見ゆめちゃん。
この日子供のお守りをしてくれていた(?)ティグレと、
この夏アメリカに交流に行く息子のロッシー。
この日の午前中のイヤロン報告会で、イヤロンの仮出願を出したという、
元・『ばふんの核弾頭』こと、高校1年生のリリー。
この夏、受け入れを予定している、アラニ。
そしてこの日受付など影でこの会を支えてくれた、らっこんに話をしてもらい、
最後は再びJOよろしく『魔法のじゅもん』を締めSADAにして、
午後4時50分、およそ3時間強の長丁場となった『第1回きっかけの会』が幕を閉じた。

       

21家族44名が参加してくれた今回の会。
3時間、ごーしゅーに“尿意”が襲うこともなく、あっと言う間の楽しい会だった。
本当に今回参加してくれた皆様に、「ありがとう」と感謝の言葉を述べたい。
特に自主的に受付対応してくれたらっこんとアイアイ、
子供の相手をしてくれていたティグレには本当に感謝、感謝。
やっぱりヒッポは人がいて初めて成り立つ活動なんだと、
今回の会を開いて改めて心に刻まれました。

      

興奮と心地よい疲れの中、来てくれたメンバーたちに別れを告げ見送るごーしゅー。
すると午後5時10分、多目的ホールに
「SING ALONG DANCE ALONG」の曲が流れ始めた。
新宿月曜ぼらっちゃファミリーのスタートである。
ごーしゅーは休むことなく、この日2本目、
今年に入って101回目の“日常”をスタートさせるのであった。

      

第2回きっかけの会につづく

      

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