第2回きっかけの会・後カルタ

(2010年8月1日・午前9時55分〜午後4時00分)

   

※このカルタはごーしゅーの淡い記憶をもとに裏取り無しで作成されているため
  事実と異なる場合があります。ご了承ください。
     

2010年8月1日午前9時40分、

第2回きっかけの会開始まであと15分と迫っていたが、
この日のごーしゅーは、前回とは違い、気持ちに余裕があった。
2回目ということもあり、会場内に張る張り紙はすでに前日に作成済み。
会場設定の手順を把握していたこともあったが、
何よりも、すでにこの時点で2人参加者が集っていたことが、
ごーしゅーの気持ちの余裕を作っていた。
1人はかつてごーしゅーが所属していた新宿よってケロFのフェロウ・かえるちゃん。
かえるちゃんは現在、岐阜の木村Fにメンバーとして所属。
今回はきっかけの会参加のため、はるばる岐阜から足を運び、
前日はごーしゅー&らっこん宅にステイして、
この日もごー&らこと共に午前9時から会場入りしていた。
そしてもう1人は、新宿水曜橙Fのさんば。
前回に引き続き参加のさんばはこの日、開始時間を1時間間違えたらしく、
こちらも午前9時から会場入り
していた。
何はともあれ、らっこんを含め4人いれば
最低限会として成り立つ状況に安心しつつ、
ごーしゅーはこの日も会の途中におしっこがしたくならないようにトイレに向かう。
するとトイレまでの道すがら、
新宿土曜朝まってぃーなFのメンバー、ケイニン&ひでくん親子に遭遇。
朝9時55分開始の会であったにも関わらず、上々の出足に満足しながら、
ごーしゅーは排尿を済ますと、会場で開始の時を待った。

     

開始時間が迫ると、会場に続々とメンバーがやってくる。
まずは池袋地域・東長崎ラササヤンFのアメリとエイミー。
それを皮切りにラササヤンからはフェロウのじんこ、
メンバーのステファニー・ゆいちゃん親子、
そしてラササヤンのメンバーで目白ではフェロウも勤める
マギー・チャン、りんこ、やこの親子と、大量8名のメンバーが押し寄せる。
さらには前回に引き続き岐阜から連続参戦のJO。
この日もごーしゅーは岐阜より自費で駆けつけてくたJOから
容赦なく会費100円をむしり取る。
新宿からは同じく連続参戦のくろちゃん、グレース。
キャンディキャンディは前回とは違う組み合わせで、
3番目の子のステアと一緒に来てくれた。
中央線からも連続参戦、かえるちゃんの元フェロウで現在武蔵境メンバーのポッキー。
同じく連続参戦、調布地域のゆめちゃんは今回は単身で参加。
そしてこの日の午前中のゲスト、埼玉中央・北浦和フェロウの姫路おーちゃん。
午後のゲスト、東急・武蔵新田フェロウの
清水まみちゃん、みおちゃん、こうへいくん親子も午前中から参加。
またSADAが開始してからも、
下町地域からベベフィきっかけで知り合った平井のフェロウ・ターニャ&リンリン親子と、
有楽町パダルキーFのカジュが足を運んでくれ、
午前中は実に7地域から総勢19家族28人(ごーらこ含む)の参加となった。

     

会はひと通りメンバーが自己紹介をした後、SADAの時間に。
オープニングSADAは前回同様、JOが新宿に運んできてくれた「魔法のじゅもん」。
JOのいつもの笑顔と「は〜いアンニョン、オ〜ラ、ボンジュ〜ル・・・」という掛け声、
そして足が4本に見えるステップで、今回も冒頭から盛り上がる。
さらにはこちらもJOの叫びが印象的なカンフーSADA。
フォ〜!!という叫び声が会場中にこだました。
しかしこの日はJOだけではない。
続いては可憐なSADAに定評があるおーちゃんの出番。
事前に音源をもらっていたインドの曲で、おーちゃんの可憐な舞に酔う。
池袋から参戦のじんこも負けてはいない。
ごーしゅーが「面白いほうのマイケルSADA」と呼んでいる
じんこ作のマイケルSADA。
「アイラブ ユーラブ マイケル・・・フォ〜!!
とこちらも「フォ〜!!」の声が会場にこだました。
そしてこちらも池袋発の「背中オニ」「骨ケヤ〜」という走り回り系のSADA。
この2つのSADAがメンバーたちの体力を奪う。
地元新宿勢も応戦。グレースの専売特許「ヘッドアンドショルダー」、
らっこんがイントロ部分を振付けた「ソウル」、
ごーしゅー考案の「絶対に勝ちあがれないゴキブリジャンケン」、
そしてマギー・チャンが一目見て衝撃を受けたという「鼻毛SADA」を繰り出し、
開始からおよそ45分間、濃密なSADAが次々と繰り広げられた。

     

SADAの勢いはメタ活でも続く。
ごーしゅーのヒンディー語から始まった生メタは
キャンディキャンディのロシア語の最後の手紙、
まみちゃんのヒンディー語の馬、おーちゃんの英語のイチロー、
JOのスワヒリ語のデリと続き次第にショータイムと化す。
圧巻はアメリの韓国語の電話。
3Dのように前に飛び出してくるメタ活
メンバーたちからは大きな笑い声が起こる。
その他にもマギー・チャン、じんこら壮絶なメタ活合戦が続き、
あっという間に午前の部は後半戦に突入していた。

     

ここからは午前中のゲスト・姫路おーちゃんの話。
この日も可憐なSADAを踊ってくれていたおーちゃん。
普段のファミリーでもSADAのみならず、
メタ活もとても楽しそうに歌っているおーちゃんであるが、
実はここ数年くらいは気分が落ちていたらしい。
それは数年前、グループフェロウで台湾へ行ったときのこと。
ステイ先から子供たちの交流に取り組む姿勢を問われ、
またおーちゃん自身、その時に大人側の立場を取ってしまったことで苦しんでしまい、
交流日誌に「フェロウなんかやめてやる!」と書くほど気分が落ちていたそうだ。
そんなおーちゃんがこの春、今年が初交流となる
ドイツの青少年交流にグループフェロウして参加した。
きっかけはファミリーにいるドイツ好きの女の子。
好きとはいっても交流までは・・・と思い声をかけたところ、
女の子はドイツ交流に参加することを快諾。
おーちゃんは声をかけた手前、自分もグループフェロウとして交流に参加することとなった。
ドイツ交流に参加したのは中学生から大学生まで幅広い世代の子供たち。
しかしどの子も過去にホームステイで納得の行く交流ができず、
この交流にリベンジを賭ける者ばかり。
その面子に不安を覚えながらも準備を重ね旅立ったおーちゃん。
しかしドイツに行ってみれば、皆立派に納得の行く交流を成し遂げ、
むしろ子供たちがビールを飲んで遅刻してくる
おーちゃんらグループフェロウたちの面倒を見るほど。
そんな子供たちにも支えられ、おーちゃんはドイツで
飲んで食べて、楽しい交流を送ってきたのだった。
ヒッポを長くやっていると楽しいときもあればつらいときもある。
ましてフェロウをやっているとその波の大きさはメンバーの比ではない。
しかし何かをきっかけに一歩踏み出せば、
必ずそれを受け止めてくれ成長させてくれる場がヒッポにはある。
そのことをわからせてくれたおーちゃんの話だった。

     

おーちゃんの話のあと、午前中のみ参加のメンバーに話をしてもらい、
ステファニーからはフェロウ宣言も飛び出す中、
最後はおーちゃんのインドSADAとじんこのマイケルSADAで締め、
午後0時10分、午前の部は終了。
ここでおーちゃん、ポッキー、池袋組、下町組のメンバーとは再見。
そして残るメンバーは、一旦昼食タイムを挟むこととなった。

     

皆が昼食を買いに行く中、会場にはごーしゅー、
キャンディキャンディ&ステア、そしてまみちゃん、みおちゃん、こうへい君が残る。
会場ではBGMとして、おーちゃんの可憐なSADAが記憶に新しい、
インドSADAの曲が流れていたが、
みおちゃんとこうへん君は、ごはんを食べながら、
さっそくその曲にあわせて体を動かしていた。
一方のキャンディキャンディは1歳のステアに向かって、
曲に合わせた新たな踊りを提案。

     

「♪シェイク、シェイク、シェイク。おえ〜、おえ〜、おえぇ〜♪」

     

その踊りはシェイクを飲んだ後にゲロるという衝撃的な内容だった。

     

そうこうしている間に昼食を買いに行った面々が会場に戻り、
また午後の部のゲスト、新宿水曜橙Fのメンバー・つまみちゃんと、
西武線ひばりが丘あちゃへFのメンバー・さやが会場にやってきた。
食事が終わったあと、待ちきれないメンバーは早速立ち上がって輪を作り、
開始時間の午後1時になるかならないかの間に、SADAが再開された。

     

午後の部はインドSADA、カンフーSADA、魔法のじゅもんといった
午前の部でもやった定番SADAに加え、
かえるちゃんが新宿でフェロウをやっていた05〜06年当時に流行っていた、
「マイアヒ・HGバージョン」や、
先日まで1年間日本にイヤーロングプログラムで来ていた
メキシコのわかめちゃんに教わったメヒコSADAなど、
面子が入れ替わったことにより、また新たなSADAが加わった。
そしてメタ活は、午前から引き続きのメンバーも多かったため、
やや趣向をこらし、1人1分間限定、
1分間ちょうどで歌い終えたらお菓子総取りの「1分間メタ活」を実施。
まみちゃんの娘、みおちゃんが歌うときには、
弟のこうへん君から「がんばって〜!」と姉弟愛を感じる声が飛んでいたが、
結果は、主催者の一人、らっこんがお菓子を総取りするという、
出来レース的な結果に落ち着いた。

     

午後2時を過ぎ、再びゲストの話に突入。
午後の部のトップバッターは清水まみちゃん。
まみちゃんは新宿土曜朝メンバーのケイニンと学生時代の同級生。
それが縁で新宿に遊びに来てくれたのをきっかけに、
今度はごーしゅーがまみちゃんのファミリーに遊びに行き、
またベベフィの部分でのつながりもあって、
今回はそのベベフィの視点を交えた話をまみちゃんにしてもらおうと
ゲストとして来てもらうこととなった。
その期待通り、まみちゃんは自身の子供の成長を
「赤ちゃんはどのように話せるようになるのか?」という
ベベフィの視点で話してくれた。
        
まみちゃんが2人の子育ての中で見つけたこと。
それは赤ちゃんは『まねをする』『あきらめない』そして『しつこい』ということ。
よくヒッポで耳にする『まねをする』などは
子育て経験のないメンバーでもなんとなくわかる気がするが、
『あきらめない』『しつこい』は実際に四六時中赤ちゃんと向き合っている
お母さんだからこそわかる話。
赤ちゃんはとにかく自分の思いを『あきらめず』『しつこく』伝え続ける。
その『あきらめない』『しつこい』という部分が大人が失った部分なのだということを
まみちゃんのエピソードは気づかせてくれた。
そしてもう一つ、まみちゃんが言っていたのは、赤ちゃんが自然に身につける3つこと。
『言葉を話す』『ハイハイをする』そして『絵を描く』
この中の『絵を描く』のエピソードを中心にまみちゃんは話してくれた。
ヒッポのチラシ作りが得意なまみちゃん。そのまみちゃんのチラシを見て、
ある日娘のみおちゃんが同じようなチラシをマネして作っていた。
小学生だけあって、マネの中にも変える部分は変え、
自分のものにしていたみおちゃん。
そしてそれを今度は弟のこうへい君がマネしてチラシを作る。
文字もまだはっきりとはわかっていないはずのこうへい君。
字も絵もとにかくマネをして、時に文字は鏡文字になりながら、
お姉ちゃんのチラシをそっくりに書き上げていた。
その自然な現象を実際の“物証”を見せながら話してくれたまみちゃん。
ごーしゅーを始めとする子供のいないメンバーにとっては衝撃の連続の話であった。
そして今回まみちゃんが話してくれてよかったのは、
まみちゃんがトップでベベフィの視点をみんなに植え付けてくれたことで、
あとの2人の話もメンバーたちが皆そういう視点を持って聴くことができたこと。
ただ単に「まみちゃん」→「つまみちゃん」→「さや(えんどう)」
つなげたかっただけで並べたこの順番だが、
まみちゃんのおかげで予想以上の効果をあげることとなる。

     

2番手はつまみちゃん。新宿水曜橙Fの社会人メンバーで、
ごーしゅーとは入会当初から10年来の付き合いになる。
つまみちゃんが入会したのは10年前、
当時の水曜ファミリーは、ごーしゅーもつまみちゃんも、
フェロウのりょうこちゃんも含め
みんな20代という若々しいファミリーだったが、
今は全員1ステージ上に上がり、落ち着きも兼ね備えたファミリーとなっている。
そんな水曜ファミリーで断続的に長い付き合いのつまみちゃんであるが、
まとまった体験談を聴くのは今回が初めて。
つまみちゃんの話はまず入会のきっかけから始まる。
        
学生時代から外国、特に英語圏に興味を持ち、英会話にも通っていたつまみちゃん。
その英会話がヒッポと似て耳から入るタイプの英会話だったこともあり、
そこには普通に馴染んでいたつまみちゃんだが、
予定していたオーストラリアへのワーキングホリデーに行く前に、
その英会話のプログラムが終わってしまい、
つまみちゃんは改めてワーキングホリデーに行くまでの間通える英会話を探していた。
そこで出会ったのがヒッポだった。
つまみちゃんは入会して1年ほどで予定通りワーキングホリデーに出発。
そして1年間のワーキングホリデーから帰ってきても、
つまみちゃんは毎週欠かさずファミリーに通い、ヒッポの自然習得を楽しんでいた。
しかし一方で交流には言葉を習いに行くイメージが先行したのか、
違和感を感じ参加することを拒んでいた。
それでも初めてのメキシコ交流に参加すると、
そこでの出会いと赤ちゃん体験からその違和感が解消し、
今では2年に1度のペースで交流に参加するようになっているという。
現在は直近に行ったフランスのフランス語を楽しんでいる最中のつまみちゃん。
ヒッポのファミリーでもそうでない場でも、
いつもほんわかと場に自然に溶け込んでいるつまみちゃん。
そんなつまみちゃんの内側でそんなことが起こっていたんだという発見がいっぱいの
つまみちゃんの話だった。

     

そしてこの日のトリを勤めるのは、西武線・ひばりが丘アチャヘFのメンバー・さや。
アチャヘFは言わずとしれたヒッポの重鎮・わかちゃんが主催するファミリー。
さやが入会したのは約14年前。
ごーしゅーが入会した11年前にはすでに、
わかちゃんが水戸黄門だとすれば、現・大泉学園フェロウのまんもと共に、
助さん格さんのように西武線に君臨していたさや。
そんなさやの話が10年ぶりに聴きたくて、今回はゲストに来てもらうこととなった。
さやが入会した講演会、まだ娘のぴっこりーなが赤ちゃんだったこともあり、
さやは講演会もそこそこにぴっこりーなをあやしていた。
そんな講演会の最後、わかちゃんがぴっこりーなを指してこう言った。

     

「今日一番面白かったのはこの子!!

  ヒッポはココ(赤ちゃん)をやるの!」

     

その勢いに押され(?)さやはヒッポに入会。
しかし最初はわかちゃん曰く「会場のピアノの下に隠れていた」というほどの
引っ込み思案だったという。
心の中ではヒッポに大いなる興味を抱いていたが、
内気な自分はなかなか一歩を踏み出せない。
大いなる興味と内気な自分の間に揺れ動く日々。
しかしさやが大きな第一歩を踏み出し時、
そこから今に至るさやの開かれたヒッポ人生が始まったのだった。
今回さやはこのさや自身の話に加えて、
娘のぴっこりーなのヒッポの中での成長も話してくれた。
昔のさや同様内気なぴっこりーなも受け入れや交流を重ねることで、
言葉も人間も大きな成長を遂げたという。
「僕はなぁに?」と自分を問い、そんな中ヒッポの世界を「見てしまった」さや。
そしてヒッポで「ひっくり返った」さやは、
いつも「飛べるかな?」と広い世界に羽ばたいている。
最後はそんなカバジンの全4話と重ねて話を締めてくれたさや。
今回ごーしゅーは10年ぶりにさやの話を聴いたが、
10年経ってさやの話ももちろん進化しているし、
ごーしゅー自身も10年前は、紙芝居から一歩前へと足が飛び出してくるところや、
さやが学校で金魚係だったことしか響いていなかった自分から、
ぴっこりーなの言葉と人間の成長の部分に響くようになっており、
受け手として進化していることを実感した。
ファミリーでいつも同じことをやっているようでも、
場に出続けてさえいれば必ず成長している。
これがヒッポの環境なのだと、さやの話を聴いて感じることができた。

     

この後、午後の部途中から参加してくれた、
さやと同じアチャヘFのプーさん、大ちゃん親子、
そして前回はゲストスピーカーだったメナムも交え、感想などを一通り回し、
最後は締めSADAと、さやの中国語のお別れの場面で再見。
時刻は午後4時30分。
午前、午後の部通算5時間以上に渡る第2回きっかけの会が幕を閉じた。

     

第1回から中1週で行われた今回の第2回きっかけの会。
この2回の会を通じて計9名のゲストスピーカーに話をしてもらったが、
面白いのは9人それぞれ別の体験をしているはずなのに、
みんな同じような山あり谷ありのプロセスを経てヒッポをやっているということ。
ヒッポの創始者である榊原さんが、
「自然科学の対象は繰り返し起こること」
と言っていたのを記憶しているが、このみんなの話の共通する部分に、
きっと人間の成長と言葉の成長の大きなヒントが隠されているような気がする。
だから第3回以降も、たくさんのゲストの話をたくさんの人と共有して、
その共通する部分をより明確にしていきたいとごーしゅーは思った。
第3回以降も、きっかけの会への参加、よろしくお願いします。

     

     
きっかけの会が終了してからもごー&らこの1日は終わらない。
このあとは、この日の深夜バスで岐阜に帰るJOを始め、
かえるちゃん、さんば、メナム、くろちゃんと共に、
お酒大好きのらっこんとJOがずっと目をつけていたという、
生ビール180円(1人5杯まで)の文字が躍る、
近所の中華料理店「北京カニビン」へ。
名物・カニビン(かに餅)を始めとしたおいしい料理に舌鼓を打ちながら、
熱いヒッポ談義は夜まで続く。
そして「北京カニビン」を出たあとは程なく解散となったが、
らっこん、さんば、かえるちゃんの3人は、
更なるディープなスポットへと向かい、

四谷三丁目の街中へ姿を消したのだった・・・。

     

この3人のきっかけの会前日の様子はこちら

   
第3回きっかけの会につづく

     

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