第3回きっかけの会・後カルタ

(2010年10月24日・午後1時00分〜午後4時00分)

   

※このカルタはごーしゅーの淡い記憶をもとに裏取り無しで作成されているため
  事実と異なる場合があります。ご了承ください。
     

きっかけの会前日、今回も前回に引き続き、

元・新宿よってケロFのフェロウで、

現在は岐阜の木村Fに所属するかえるちゃんが、

岐阜からはるばる前乗りでやってきてくれた。

かえるちゃんは午前中の新宿土曜朝まってぃーなFから参加し、

サイゼリアでのアフターを経たあと、

宿泊先であるごーらこ宅に向かう。

その道すがら、かえるちゃんとごーしゅーは

お互い体の中にたまったスワヒリ語の音を出し合って楽しんでいた。

  

「さるが人気、宮城高知」「ハト耳ピ〜ア」

「釜うどんが2個なし」「火を止めればい〜ぜ」

「おしりをワシワシ」「ワキに笹」「笹に何語よ〜」

「塩崎アメリカ〜ニ」「若手風アメリカ〜ニ」・・・

  

共にスワヒリ語を話せるわけもなく、

日本語での意味すらも何ひとつわからない。

そんな中、ごーしゅーは1年前スワヒリ語が出た頃から

かえるちゃんにいたっては、ほんの1ヶ月ほど前から

スワヒリ語を聞き始めたばかり。

しかし音を投げ合えば、共鳴し合える仲間に出会ったことで、

2人の中にあるスワヒリ語の音はどんどん口から飛び出していった。

   

そして家に着き、夕食という名の飲み会を済ませた後、

ごーらことかえるちゃんは、

この夏にメキシコに交流に行ったメンバーが現地で披露したという

『WAKAWAKA(南アフリカW杯テーマ曲)』の踊りの元となった

YOUTUBEの映像を見ながら、

キッチンを含めて10.4畳の狭いダイニングで、

その『WAKAWAKA』を踊り始める。

ごーらこはこれまで何度か

メキシコ交流メンバーたちの踊る『WAKAWAKA』を見ていたが、

それまでは全く踊れる気配を感じていなかった。

ただのメキシコ交流メンバーたちが踊るカッコイイ踊り。

しかしかえるちゃんのとある一言により、その状況が一気に変わった。

    

「これって、ゴリでしょ??」

   

ごーしゅーにはかえるちゃんの言いたいことがすぐにわかった。

かえるちゃんの言う『ゴリ』とはきっと、

よしもとクリエイティブエージェンシー東京本社所属の中堅お笑い芸人

ガレッジセール・ゴリのことだ。

お笑い好きのかえるちゃんは、この踊りを

ガレッジセールが駆け出しの頃にやっていた「エンジョイプレイ」の

ダンスと同じだと言っているに違いない。

それがわかった瞬間、これまで心理的に遠かったカッコイイ踊りが、

心理的に近いお笑い系のSADAへと早変わりした。

   

「これって、変なおじさん?」

「これって、せんだみつおのナハナハ?」

「これってアイーン?」

「これって、阿波踊り?」

    

これにより3人はあれよあれよという間に、

『WAKAWAKA』が踊れるようになっていった。

   

できる人から教わるのではない。

わからないところから一緒に見つけるんだ。

    

スワヒリ語が増えたプロセスと

『WAKAWAKA』ができるようになるプロセス。

共通していたのは『一緒に見つける』ということ。

そしてそのプロセスを共有するということは、

とてつもなく楽しいことなんだと、ごーしゅーは思った。

   

そんな濃い土曜日を過ごしたあとの日曜日。

いよいよ第3回きっかけの会当日。

前回同様3人は午前7時54分発の埼京線に乗って新宿へ。

新宿からは丸の内線に乗って、四谷三丁目に到着。

そこから、これも前回同様ドトールによって朝食を買い込むと、

午前8時40分、きっかけの会会場の四谷ひろばに到着した。

まだ受付も空いていなかったため、受付前で数分待ち、

午前8時45分にようやく会場入りをする。

  

この日の午前中はきっかけの会本編に先立ち

『交流“さくさく”報告会』を開催。

序盤出足が鈍かったものの、徐々にメンバーが集まりだし、

新宿メンバーのケイニン&ヒデくん親子、

中央線から3連続参加のポッキーと、2回目の参加のビーバー。

この日ゲストのキャンディキャンディと娘のアニー。

こちらも皆勤のさんばと、きっかけの会は初となる娘のるんば。

そして東急からは前回ゲストのまみちゃん・みおちゃん・こうへい君親子を始め、

ノンノ、くーちゃん、ゆみちゃんの’10メキシコ交流トリオも参加してくれた。

報告会前のSADAではこの夏メキシコに行った、

東急のノンノ、くーちゃん、ゆみちゃんを中心とした

カッコイイ『WAKAWAKA』を披露してもらった後、

ごーらこ&かえるちゃんが前日に習得した、

『WAKAWAKA 〜僕らなりの解釈バージョン〜』も披露。

会場が暖まったところで報告会の開始となる。

   

『さくさく報告会』は“さくさく”ということもあり、

1人の持ち時間は約5分。

トップバッターのビーバーの

全編イタリア語のイタリア受け入れ話を皮切りに、

キャンディキャンディは長尺台湾自己紹介の後、台湾交流の話。

アニー、るんばは共にこの夏に行ったロシアへの青少年交流の話。

さんばはこれまで自身が行った3回の交流をまとめて。

くーちゃん、ゆみちゃん、ノンノはもちろんこの夏のメキシコ交流の話。

別れた元夫のグチともノロケとも取れるホストの話に

振り回されたノンノが、みんなに向かって放った

「彼女は結局私に何がいいたかったんでしょう?」

という叫びには、会場から大きな笑い声が上がった。

そして途中から参加のおまーにゃ&アンの夫婦は

おまーにゃがロシア交流の話、アンがフィンランド交流の話。

おまーにゃはホストが友達に、

自身を「パルスキー」と「パングリースキー」が話せると紹介されたが、

「パングリースキー(英語)」を「ハングル」と勘違いし、

友達に韓国語で自己紹介をしたところ、

「あなたの『パングリースキー』わかりません」

と言われた話を披露してくれた。

そして最後はポッキーが先ほどのビーバーの紙芝居を使って、

自分が関わった部分の受け入れ話をしてくれた。

『さくさく報告会』は大いに盛り上がり、

予定を30分オーバーした午後12時15分に終了。

ここで一旦、昼食休憩となる。

   

午後1時、午前から参加のメンバーが昼食を取る中、

今回のゲスト・鳴海りーりーを含めた、午後から参加のメンバーが集まりだす。

ごーしゅーも会の途中でおしっこがしたくならないよう、

3階の会場から駆け足で1階のトイレに駆け込み、

排尿を済ませて臨戦態勢。

1階のトイレからエレベーターで3階の会場に戻ってくると、

午後1時15分、集まっていたおよそ20名ほどのメンバーで

『第3回きっかけの会』がスタートした。

  

最初のSADAでは午前中に引き続き

『WAKAWAKA 〜僕らなりの解釈バージョン〜』を披露。

またごーしゅー作のSADAも

『ジョイマンSADA』『競馬SADA』『サザエさんSADA』など

新旧入り混じり披露された。

SADAが中盤に差し掛かった頃には、浦和のフェロウ・よーさんが登場。

迫力満点の『ゴリラSADA』で子供たちも大いに盛り上がった。

結局45分ほどSADAを続けているうちにメンバーも30名ほどに増え、

午後2時頃からは、メタ活タイム。

メタ活は前回偶発的に産まれた『1分間メタ活』

ストップウォッチで1分間を計り、

1分ちょうどでメタ活を歌い終えたら勝ちというルールの中、

序盤、新宿のメンバー・くろちゃんがいきなり1分1秒のタイムをたたき出し、

早くもくろちゃん優勝ムードが高まる。

その後7組ほどが挑戦するが、くろちゃんの1秒差には及ばない。

しかしそんな各組が挑戦する中、時間を計るごーしゅーのそばで、

入念にリハーサルをする2人のメンバーがいた。

それは小学5年生のアニーるんば

アニーとるんばはごーしゅーのストップウォッチを覗き込みながら、

何度も何度もリハーサルをして、出場のタイミングを伺う。

そして満を持しての登場で、英語のタイトルと手紙を歌うと、

そのタイムはなんと『1:00』

2回目の1分間メタ活にして早くもピタリ賞第1号が飛び出した。

  

こうして奇跡を目の当たりにしたメンバーたちは、午後2時30分、

ようやく床に腰を下ろす。

ここからはきっかけの会恒例のゲストタイム。

今回予定では4名のゲストを予定していたが、

直前になって日吉本町フェロウの岡田ねーねが都合により戦線離脱。

また当日になって浦和のメンバーでこの夏のメキシコ交流メンバーである、

関口ロミーも熱で戦線離脱となり、

結局ゲストは鳴海りーりー、安藤キャンディキャンディの2人となった。

  

まずトップバッターは鳴海りーりー。

りーりーは東急・雪が谷大塚で水曜昼と木曜夜の

2つのファミリーを主催しているフェロウ。

このりーりーとの出会いは、

まさにヒッポが人とのつながりでできていることの象徴であった。

   

新宿のメンバー・ケイニンの同級生ということで、

新宿ファミリーに遊びに来てくれた東急・武蔵新田フェロウのまみちゃん。

そしてそのまみちゃんのファミリーをたずねたときに

同じく東急・下丸子フェロウであるノンノに出会い、

そのノンノのファミリーをたずねたときに、りーりーと初めて出会う。

ただその時は直接話すこともなく、

ごーしゅーが同じノンノのファミリーで出会った、

これまた東急・石川台フェロウのトンツーのファミリーに遊びに行くと、

そのトンツーのファミリーで再びりーりーに再会。

そこでどんな場面でもついてきて歌うりーりーの姿に興味を持ち、

3人のフェロウを経由して、ようやくりーりーが主催する

ピアーチェファミリーにたどり着いた。

そのファミリーではどんな場面でも歌えるだけでなく、

ごーしゅーがどんな音を発しても、それを受け止めてくれるりーりーがいた。

聞けばりーりーはヒッポ歴は約10年。ごーしゅーよりも若干浅いが、

それでもこんなに

どんな場面でも歌えて、

どの音も受け止められる秘密はどこにあるのだろう?

この謎が今回りーりーにゲストに来てもらうきっかけとなった。

   

りーりーがどんな音にも共鳴できるようになった原点。

それは今は19歳になる息子さんが、まだ小学生だった時のこと。

およそ10年前、体験会に参加したときからヒッポが大好きになった息子さん。

こうして毎日のようにヒッポに出たがる息子さんを連れ、

当時周辺にあった火・水・木・金・土のファミリーに全て出ていたりーりー。

しかし息子さんは土曜日のファミリーからの帰り道、

いつも悲しそうにりーりーにこう言うのだと言う。

  

今日からしばらくヒッポに行けないね・・・

  

たった2日間の休みも我慢できない息子さん。

そんなある日、護国寺でフェロウを勤める小笠原すーちゃんが

東急地域に来た際口にした

「月曜日に護国寺でファミリーをやっている」

の言葉に、息子さんの目が輝いた。

   

月曜日にもヒッポがある!!

   

結局、りーりーは息子さんを連れ、遠く離れた護国寺のファミリーに

遊びに行くことになる。

こうした「週6回」の濃い環境が、

なんでも歌えてどんな音でも受け止められるりーりーを作り上げたのだろう。

息子さんも大きくなり、今ではヒッポの場に出ていないが、

りーりー自身はその環境を維持するどころか、

今では昼のファミリーも加えて「週8回」の超濃密な環境に。

そんなりーりーの体からは理屈を超えたヒッポの楽しさがあふれ出ていた。

  

ごーしゅー自身は、1999年にヒッポに入会し、

最もヒッポに出た2000年は、年間188回ヒッポのファミリーに出て、

週換算すると週3回を超えるペースでヒッポに出ていた。

しかし時が経つにつれ、04年には年間101回(週2回ペース)に減り、

08年には年間43回と週1回をも下回るペースにまで落ち込む。

言葉も増えず、仲間も増えず、ヒッポに限界を感じていた2008年。

その後とあるきっかけで復活を果たしたごーしゅーは、今年2010年、

このきっかけの会の時点で年間162回、週3回を超えるペースに戻った。

それと共に限界を感じていたはずの言葉と仲間が飛躍的に増えていった。

入会当初は当たり前のようにファミリーにたくさん出ていて気づかなかったが、

一度週1回ペースに落ち込んだことで、

今、ファミリーに行くことの大切さを身にしみて感じている。

噂に聞くとヒッポには「週3回」の壁があるらしい。

この壁を越えると理屈を超えたヒッポの楽しさが広がっている。

確かにヒッポにあまり出ていなかったころは、

ヒッポとはこうあるべきだと理屈でヒッポをやっていたような気がする。

しかし週3回を超えると、そんなことを考えているヒマもなく、

とにかく今目の前で起こっていることに反応しようとする。

赤ちゃんもきっと毎日起こる目まぐるしい生活の中で、

理屈抜きに言葉を習得して言っているのではないかと、

このりーりーの話をきっかけに考えた。

  

「週1回」と「週3回」。

単純に考えればその効果は3倍のように思えるが、

実際は3×3で9倍・・・、いや3の3乗で27倍くらい

効果は違うような気がする。

ましてやりーりーのように「週8回」ならば、

8×8で64倍、いや8の8乗で1677万7216倍くらい、

効果が違うのではないだろうか。

この数字は極端かもしれないが、ファミリーに出るのと出ないのでは、

これくらい違うということを、今、ごーしゅーは感じている。

   

このりーりーの話の後、午前中の回で話しきれなかった、

アニー&るんばのロシア青少年交流話、

そしてまみちゃん&みおちゃんの台湾交流話が続く。

さらにそれに触発されるように、ごーしゅーも、

入会半年で初めて参加した韓国大学生交流で

心を閉ざしつらかった交流話から、

ホストも友達もいないホテルステイ(合宿のみ)メキシコ交流で、

コラソンアビエルトをしたことで、メキシコのメンバーたちと

熱いハグができるようになるまでの話を披露した。

  

この話の後、2人目だが、本日最後のゲストとなる

安藤キャンディキャンディの出番がやってくる。

キャンディキャンディは、ヒッポ歴はごーしゅーとほぼ同じの12年。

日野のファミリー(フェロウ:クレオパトラ)で入会した後、

04年に当時ごーしゅーが所属していた

新宿ばふんばふんファミリーに移籍。

フェロウの松澤おりーぶをはじめ、かえるちゃん、さんばるんばなど

強烈な個性を放つメンバーたちの中で、

一見おとなしそうにファミリーに参加していた

キャンディキャンディであったが、

ファミリーに毎週参加するうちに徐々にその個性を発揮し始め、

突然出身地の福島弁でヒッポのタイトルをいい始めたり、

後には般若心経をメタ活しだしたりと

トリッキーな魔球を放ち始めるようになった。

そんな魔球を放つ一方で、

ヒッポの軸を外さない直球にも定評があり、

キャンディキャンディが歌っていた多言語での馬の場面は、

ファミリーのみんなが馬の場面を歌えるようになるほどの影響力を持つ。

キャンディキャンディのヒッポをする姿はまさに自然体

そんな自然体のキャンディキャンディがきっかけの会4回目にして

満を持しての登板となった。

  

そんなキャンディキャンディの話。

キャンディキャンディはまず現在1歳半になる

3人目の子・ステアの最近の言葉の様子から話し始める。

最近ステアは「じゅう」という言葉を覚えた。

「5+5=」と聞くと「じゅう」と答え、

「3+6+1=」と聞くとまた「じゅう」と答える。

受け止める側が「10」になる計算式を作り上げ

勝手に「じゅう」という音に乗せて受けとめている。

ステアが本当にそれを数字の「10」のつもりで

言っているかはわからない。

「言葉の意味は周りの環境がつけるものなのか?」

と、さらに追求したくなる話の後は、

今は小学校5年生になるアニーの小さかった頃の話。

キャンディキャンディは仕事を終えて帰ってくるとアニーを抱きかかえ、

テレビの電源を手がふさがっているために足でつけていた。

しかしある日ふとアニーを見ると、

そのアニーがテレビを足でつけようとしていたという。

そんなアニーのマネっこエピソードの後は、

この夏に青少年交流でアメリカに行った

阿佐ヶ谷のフェロウ・カリーナの息子・ヒロシの話に。

ヒロシは報告の際、英語には困らなかったようだが

その時にこんなことを言ったという。

   

「自分にとって必要なことは全てわかった。

 わからないことは自分に必要のなかったこと」

    

最初キャンディキャンディは何を言っているかと思ったが、

1歳半のステアを見ていてその真意がわかっていった。

ステアにお片づけをさせる際、キャンディキャンディは

「散らかしていると次にここで遊べないから・・・」などと理由をつけ、

ステアにこれはあっちこれはこっちと片付けさせていた。

しかしステアは「散らかしていると・・・」などという理由付けはどうでもよく、

とにかくこれはあっちこれはこっちということだけをやっている。

まさに今必要なことだけを理解して行動しているということに気づいたという。

      

こんなある種ベベフィの視点も取り入れたキャンディキャンディの話。

今回のキャンディキャンディの話は、まさにヒッポの真芯をとらえた直球と

キャンディキャンディらしい変化球を巧みに織り交ぜたすばらしい話だった。

12年のヒッポ歴に裏打ちされたその視点で

キャンディキャンディはみんなに『赤ちゃんの方法』を伝えてくれた。

     

ゲストの話のあとは、今回来てくれたメンバーの紹介も兼ねた感想タイム。

まずは岐阜から来てくれたかえるちゃん。

かえるちゃんは前回のきっかけの会をきっかけに

この年末年始にマサイ族ツアーに参加することになったことと、

それをきっかけに聞き始めたスワヒリ語の成長の話をしてくれた。

マサイ族ツアーに参加することを決めるまでは、

週1回の午前のオンマ会にしか参加していなかったかえるちゃん。

CDの音からも遠ざかっていたようだが、

スワヒリ語で見つける楽しさを見つけ、

もしかしたらスワヒリ語でその子のタイトルが言えるんじゃないかと、

もっている音で無いはずのスワヒリ語のその子のタイトルを歌ってくれた。

続いては今回ゲストに来る予定だったロミーが所属する

浦和ファミリーのフェロウ・よーさん。

よーさんは昨年ファミリーに入会したばかりのロミーの急成長を

母親の視点と、自然科学的視点から紹介してくれた。

その他、同じく埼玉中央地域のフェロウ・アリエル。

新宿のメンバーで先月入会したばかりのヒロウォーカー一家。

途中から参加の松戸地域のフェロウ・よっちゃん。

そしてごーしゅーが所沢でヒッポに入会した当時の

お隣のファミリーのフェロウで、トラカレ卒業生、

ご主人の仕事でアメリカ・ヒューストンに住んでいた際、

ごーらこが訪問したこともある、現在は八千代のファミリーのメンバー、

はるちゃん改めとまそんも感想を交えながら自分の話をしてくれた。

ゲストの話をもとに突然振ったにも関わらず

自らの話に置き換えてくれるメンバーたち。

そのたくさんの視点からよりヒッポの楽しさとは何かというのが

浮き彫りになる瞬間であった。

  

この充実の感想タイムが終わったあとは、

終了時間を大幅に過ぎていたが、締めSADAをすることに。

締めSADAは6曲。

『WAKAWAKA』はもちろん、よーさんの『ゴリラSADA』、

そして松戸のよっちゃんは、キレのいい動きで、

『マツケンSADA』と『バタフライ』を踊ってくれた。

  

こうして午後4時半、第3回きっかけの会は終了。

終わってみれば、午前中の会もあわせて26家族43人が参加してくれ、

うち15家族が初参加というフレッシュかつ刺激的な会となった。

  

今回も会のあとは「北京カニビン」でアフター。

生ビール一杯150円の「北京カニビン」で

おいしい中華料理をつまみながら、

さらに熱いヒッポ談義が繰り広げられる。

その中でのはるちゃん改めとまそんの話。

キャンディキャンディの「自分に必要なことは全てわかる」の話を受けて

とまそんはアメリカに住んでいたときの

次男・いっちゃんのエピソードを話してくれる。

    

現地の野球チームに入ったいっちゃん。

ある日チームのコーチがメジャーリーグの試合に観に行こうと誘ったが、

今ひとつ通じていなかったという。

しかしおなじチームメイトの子が「野球観に行こうぜ」と言った言葉は、

いっちゃんは100%理解をしていた。

大人が言ういろいろな理由付けは聴いておらず、

いっちゃんも自分のこのあとの行動にとって

必要なものだけを理解したんだと話してくれたとまそん。

   

今回のきっかけの会は過去2回の会とはまた違い、

「自然習得って何?」「赤ちゃんの方法って何?」

「音の環境って何?」「ファミリーって何?」

そして、

「ヒッポは何?」ということを、

深く考えさせてくれる会になった。

   

集まる人によって姿を変えていくきっかけの会。

次回はいったいどんな会になるのか、

全く想像できないのと同時に、とても楽しみでもある。

是非、第4回きっかけの会も、皆さんふるってご参加ください。

     

第4回きっかけの会
12月12日(日)9:45〜12:45※午後もイベントを予定!!

詳細はホームページトップより

   

   

第4回きっかけの会につづく

   

特典!!

『WAKAWAKA』のYOUTUBE動画

※どこがエンジョイプレイで、どこがせんだみつおなのか?お楽しみください。

岡田ねーねの反省文(?)

※今回残念ながら戦線離脱してしまった幻のゲスト岡田ねーねが話すはずだった話?

         

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